ハルリンドウも咲きましたが…。

4月13日 うす曇
 ある所へサナエトンボと某カエルの調査に行ってきました。
目的の種の確認は出来ませんでしたが、今年初めてのヘビも見ることが出来ました。嫌いな方は、水辺へ近づくときは気をつけてください。
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↑ ダントバイケイソウです。
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↑ ハルリンドウです。
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↑ ヤマツツジです。こんな小さくても花が咲いていました。
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↑ シハイスミレです。
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↑ アズマヒキガエルのオタマジャクシです。水が枯れたりするのが心配でしたが、対策が講じて、無事成長してました。嬉しいです。
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↑ 渇水と、雨で流れ出し防止のために、3月13日に作った水辺です。
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↑ カエデも若葉が開きかけていました。
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↑ 何ヤナギでしょうか?
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↑ ウシガエルです。誰が持ち込んだのでしょうか、山の中の小さな池に、コイと共にいました。どちらも元々いなかった生きものです。
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↑ マムシです。ザックを置こうとしたら足元にいました。
こちらの気配で穴の中へ入っていきました。

トンボの羽化 その後

■4月12日 晴れ
 カエル谷では、その後もシオヤトンボの羽化が続きました。
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↑ もうじき飛び出そうとするシオヤトンボです。
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↑ 山桜も咲き、木々も芽吹き、輝きだしたカエル谷です。

今年生まれのトンボ

■4月8日(日)
 広島から帰ると、3日の強風で小屋が壊れたとのメールが入っていました。
昨年の震災に遭われた方々と比べれば、かすり傷程度といえますので、修復のためカエル谷へ集まると、シオヤトンボがいました。勿論、今年生まれでは初めてのトンボです。
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↑ 羽化間もないシオヤトンボです。
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↑ 中々暖かくならない今年の春でしたが、木々の新芽が輝きだしました。
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↑ 何度かの台風でも無事だった小屋も、今回の強風で壊れました。
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↑ 骨組みにする竹を切り出し、運びました。火曜日に組み立てます。
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↑ ショウジョウバカマがきれいに咲いていました。

岩子島で一番高い山へ登る

■4月6日(金)

 潮風さんと、お友達のSさんとの三人で、島で一番高い西岩岳(標高130m)に登りました。
 お二人との山歩きは、2年前の白滝山以来です。

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↑ 登山口の目印、浜之浦隧道です。
ルートは、トンネル手前右の坂を上って、旧道の峠に出て、尾根伝いに北上するものです。

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↑ 峠です。 札所らしいものがありました。
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↑ 第四十三番札所「伊予・赤石寺」です。 昨日は雨が降り出したたため、札所巡りは四十二番札所で打ち切ったのでした。 もう少し西の、下のほうにあると思っていたのですが、意外なところに四十三番札所があました。
それぞれが、想いを込めてお参りさせていただき、山頂を目指しました。

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↑ 梨のようなきれいな白い花が咲いていました。 ハタンキョウ(スモモ)とSさんに教えていただきました。
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↑ 数本植えてありました。 どうやらミカン栽培を止めた後で植えられたようです。
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↑ 少し行くと、右手に札所がありました。 以前来たとき、ヤモリのいた札所です。
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↑第四十四番札所「伊予・大宝寺」でした。 


少し登ると海が見えて来ました。
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↑ 三原方面です。
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↑ 黒崎鼻や、佐木島方面です。
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↑ 所々に、ばべ(ウバメガシ)のトンネルがありました。
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↑ 尾道水道方面です。 山の上に尾道総合病院の白い建物が見えました。
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↑ 海の水がとてもきれいでした。
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↑ ミツバツツジも咲き始めていました。

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↑ 細島や、佐木島、生口島、大三島なども見えました。

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↑ 頂上の最後の登り手前にあった第四十六番札所「伊予・浄瑠璃寺」です。
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↑ 島々の間を船が通って行きました。
山国で育った私にとって、唱歌 「ミカンの花咲く丘」 の風景は、いつか見たい憧れでした。

(ご参考)
  生まれて初めて見た海は、小学4年生のときの久ノ浜でしたが、昨年の大震災で被災しました。 被害に遭われた方々の一日も早い復興を願わずにはいられません。

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↑ 頂上近く、砂地がむき出しになった尾根から糸崎方面を見たところです。
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↑ 山頂側から南側を振り返ったところです。
なだらかに見える尾根ですが、砂地で傾斜があるため滑りやすかったです。
後ろに見えている山は殿山(標高117m)です。

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↑ 山頂近くにあった祠です。 正面から見たかったのですが、岩の上に鎮座していて近づけませんでした。 
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↑ 三等三角点「西岩嶽」です。 背後に見えているのは糸崎方面です。
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↑ ゆるぎ岩です。
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↑ 大小ふたつの鯨島と、鉢ヶ峰(標高429.7m)です。
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↑ 山頂からの尾道水道です。

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↑ 山頂近くにあった第四十七番札所「伊予八坂寺」です。
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↑ ゆるぎ岩の根元にあった天女のような姿が彫られた石仏です。

 潮風さんが持って来られた暖かいコーヒーをご馳走になりながら、展望と、おしゃべりを楽しんだ私たちは、しばらく休んだ後、登って来た道を引き返しました。
次のときは、北側から登ってみようと思います。


寄り道

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↑ 浜之浦隧道を西へ行ってみました。
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↑ 郷条の集落を北へ行ったところにあった第六十七番札所「讃岐・大興寺」です。



 登山口からゆっくり歩いて45分ほどで、素晴らしい景色を見ることが出来ましたので、多くの方々に登っていただきたい山と言えます。   ★★★★☆



(補足)
  岩子島歩きのすすめ


 時間があり、健脚の方は、東岩岳、西岩岳、殿山をセットで歩くのが楽しいと思います。
 ゆっくり、のんびり歩くのであれば、景色の良い札所や、向島大橋近くの三角点などと、どちらかの岩岳を組み合わせて、自分だけのコースを作って歩くのも楽しいと思います。
 季節は11月から4月一杯が、空気が澄み、遠くまで見えることと、藪の程度がさほどでないこと、汗もかかず、ハチやヘビがほとんどいないので、お薦めです。




  帰りは、向島の有井にある美人の姉妹がやってられる「ことぶき」さんで、美味しいランチを食べました。






岩子島を歩く  その⑤

4月5日 (島遍路 二日目…お接待の翌日)

 厳島神社へ向かう

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↑ 殿山の東、ビニールハウスが並ぶ所に出た私は、再び海岸沿いを西へ向かい、厳島神社近くの三つの札所を目指しました。

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↑ 振り返ると因島大橋が見えていました。

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↑ 黒崎鼻の付け根にあたる峠から、西岩岳を見たところです。

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↑ 岩子島の南西端にある黒崎鼻です。 水がきれいでした。 

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↑ 三十九番札所は、廃墟と化した海の家?の横のクスノキの陰にありました。
厳島神社とは眼と鼻の先に位置するのですが、近年はお参りされる方もいないようで、仏様も寂しそうに感じました。
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↑ 第三十九番札所「土佐・延光寺」です。 夏になれば、草むらの中に隠れてしまいそうです。


 次の四十番札所は、いただいた地図によれば、三十九番札所と厳島神社の間にあるはずなのですが、位置を変えられたのか、中々見つかりませんでした。
島の人の話では、都合で位置を変えた札所もいくつかあるとのことでした。
実際、回ってみると、進行方向の右と思っていたのが左にあることもありました。
 それらも含め、範囲を広げて探しているうち、結果として、参道沿いにあった四十一番札所を先に見つけました。

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↑ 第四十一番札所「土佐・龍光寺」です。


 四十番札所は、意外な所にありました。
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↑ 神社裏手の崖の穴の中にあったのです。

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↑ 第四十番札所「伊予・観自在寺」です。 先ほどの三十九番札所同様、しばらくお参りがされていないようでした。
 なお、ここから土佐を倣った札所が、伊予〇〇に変わりました。

 厳島神社は、最寄りの集落から7~800mほど離れている上、坂を上り下りしなければならないこともあり、高齢者が多くなった現在、お参りが困難になっているようです。


 寄り道して厳島神社
 トンネルを出た所や、山の上から眺めたり、写真で見ていた厳島神社です。
初めて間近に見ることが出来ました。 夕日がとてもきれいな所と聞いてましたから、
今度来るときは夕日が見れる時間にしたいと思いました。
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↑ 赤穂四十七士の奉納額がありました。 
今は、荒涼とした厳島神社でしたが、昔は参拝客も多く、賑わっていたようです。


 次に、四十二番札所を目指しました。
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↑ 車道を横切り山裾を北へ向かうと、右手に手入れされた道があり、
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↑ 道の終わりに札所と思える石仏が見えて来ました。
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↑ 第四十二番札所「伊予・佛木寺」です。
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↑ ただ、石仏を囲っていた石が崩れたままになっていて、ここも、お参りの人がいないようでした。
標識で判ったのですが、道が手入れされていたのは、高圧線鉄塔の巡視路だったからでした。
巡視路は山へ向かっていて、かつての遍路道はそのまま山裾を行く感じでしたが、藪の中に消えていましたので、次の四十三番札所は、一旦、車道へ戻り、トンネル側から探すことにしましたが、雨が降ってきたので今日の札所巡りは打ち切りにしました。

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↑ 浜之浦隧道です。


 バス停のあるJAの集出荷場までは、直線で1Kmほどなので、島の景色を楽しみながら、
のんびり戻りました。
 朝、潮風さんに送っていただいた近くでゲートボールをしていた島の方たちが私に気づき、   「今日もお出でになったのですか…」と、話しかけてこられました。
見慣れぬ顔なので、みなさん、すぐに気づいたようです。
  「今からどちらへ?」
  「向島の宿へ帰ります。」
  「ほな、もうじきバスが来るよ。」
と言うことで、運良く、平日の午後は一便しかないバスに乗れ、B&B潮風さん近くの小浦渡へ戻ることが出来ました。
運賃は270円と安く、驚きました。 (おのみちバス向島循環線)

 潮風さんは用事で留守でしたが、自室に戻り、着替えてから、本を読んだり、篠笛を吹いたりして過ごした後、渡船で尾道へ渡り、村上さんでお好み焼きを食べました。

  「毎週水曜日に、坐骨神経痛で病院通いをしてるんよ…」と言いながらも、
明るく笑うおばちゃんとの久々の対面は、うれしかったです。
勿論、砂づりも、おまけでいただいた草もちも、美味しかったです。

  「焼肉屋さんは、今日はこれから?」
  「もう少し経ったら来ると思うよ…」
  「そうそう、堂林さん、一軍に入り、頑張ってるよ!」 と、おばちゃん。
憶えていてくれてうれしかったです。
彼が高校を出て広島へ入った年に、ここで知り合った、52年の中京商と決勝で戦った尾道商の元甲子園球児の焼肉屋さん(久保町の楽天)が、
  「彼は、将来、広島の主軸になるよ…」と言い、応援してると言ってられたのでした。
同じ町出身の堂林選手には、ぜひ、活躍してほしいです。 広島の方々、よろしくです。

 堂林選手、みんなで応援しています。 

 村上のおばちゃんも、お元気で。



                                                    
 










 

 

岩子島を歩く  その④

4月5日 (島遍路 二日目…お接待の翌日)

 今日も岩子島の札所巡りをすることにしました。
全部回ってしまいたいと言うことよりも、三十二番札所を見つけておきたいとの気持ちがそうさせました。
いわゆるリベンジです。

 昨日は、阿弥陀寺のある山の上から探し回ったのですが、見つけることが出来ませんでした。
山は、頂を目指す登りに対して、範囲が広く、方向が定めにくい下りが迷いやすいものです。
と言うことで、発想を変え、先に麓にある三十三番札所へ行き、そこから山を登りながら三十二番札所を見つけることにしました。

 お昼用にと、B&B潮風さんでいつもいただいている尾道人御用達のサンモルテさんのパンを二つ用意していただき、今朝も潮風さんに岩子島まで送っていただいての再スタートです。


 三十三番札所は、バス停のあるJA集出荷場隣の広場から西へ向かい、岩子島隧道を抜け、火の見櫓と七十五番札所のある辻に出て左折し、南へ100mほど行った辺りにあるはずです。

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↑ 大林信彦監督の映画「ふたり」の舞台にもなった火の見櫓のある辻です。
右隣が、昨日、最後にお参りした第七十五番札所の「讃岐・善通寺」です。
 私も数年前に尾道に来てから知ったのですが、向島や岩子島は、尾道の街と共に大林映画のロケ地として、たびたび使われているようです。


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↑ 少し歩くと右手に札所らしいのが見えて来ました。
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↑ 第三十三番札所「土佐・雪渓寺」です。
雪渓とは、山好きには響きの良い言葉ですが、雪国でない四国の寺の名とした謂れは何でしょうか? 興味が尽きません。

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↑ 札所の左手の路地の奥に阿弥陀寺へ行けそうな古い山道がありました。
ここを行けば三十二番札所があるのではと期待して登って行くと、菜の花がきれいに咲いていて、ハナアブやミツバチが飛んでいました。
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↑ 振り返ると春の彩の中に、郷条の集落が見えていました。 
静かで、のどかな、旅の空です。 のんびり行くことにしました。
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↑ かつては人の往来も多かったと思われる古い石段があり、阿弥陀寺まで辿り着いたものの、札所は見つかりませんでした。

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↑ ならばと、再び麓に戻り、三十二番札所の位置をお尋ねしようと、とある民家の庭先へ入って行くと、外で仕事をしていたご主人が、こちらの気配を感じて、にっこりしながら声を掛けて来ました。
  「昨日、十七番札所でお会いした愛知から来た人ではないですか…」 
そうです。十七番札所で、お話しを聞かせていただいた方でした。

 偶然の再会と、憶えてられたことに驚きながら、お話を伺えば、十七番札所は母方の在所で、子どものときから、お接待に行っていたので、今でも手伝っているとのことでした。
 三十二番札所を探していることをお伝えすると、位置的には裏山のどこかと思うが、行ったことがなく判らないとのことでした。
そして、以下の貴重な情報が得られました。
・岩子島の札所は個人の小さな札所が多く、そこの方が歳をとったりすると、お接待を止められるので、山の上のほうの札所の場合、行く人もいなくなり、判らなくなること。
・今でもお接待をしている札所は、30ヶ所ほどになっていること。

そんな状況なので、2日間、探し歩いた第三十二番札所でしたが、今回は探すのを打ち切り、次の札所を目指しました。


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↑ 海へ向かって南へ歩いていくと、集落の外れに札所らしきものが見えました。
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↑ 第三十四番札所「土佐・種間寺」です。 きれいにはなっていますが、お花などがないところから昨日のお接待はなかったようです。


 次に向かったのは三十五番札所と三十六番札所でした。
  「やあ! 今日も来られたのですか? …」
ビニールハウスの修理をしていた二人の方が、声を掛けてくれました。
どこかのお接待所で、私を見かけ、昨日と同じ格好の私を憶えていてくれたようです。
三十五番札所を目指していることを告げると、
  「長いこと誰も入ってないので見つかるかなぁ…。昔はこの奥に山に上がる道があったんだが…」
  「何とか、頑張ってみます。…」
 作業をしている横を通らせていただき、山へ向かってはみたものの、イバラが衣類に引っ掛かり、何度も進路を妨げるため、今回は探すのを諦め、元の所へ戻ったのでした。
次に来るときは剪定バサミを持って来ようと思います。
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↑ 3日の強風で損壊したビニールハウスです。 植えられているのは岩子島名産のワケギです。
背後の山は殿山(標高117m)で、三十五番と三十六番札所は、手前中腹にあるはずなのですが、10年近く人が入った形跡はありませんでした。

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↑ ビニールが飛ばされてしまい、むき出しになったトマトです。 
  「植えて間もなかったので、ダメだろうなぁ…」との言葉に、やりきれない辛さが滲んでいて、心の中で、頑張ってくださいと叫ぶ私でした。

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↑ 海に出ました。 見えている橋は、布刈瀬戸の向島と因島を結ぶ「しまなみ海道」の「因島大橋」(長さ1,270m、)です。



「殿山」の札所を目指す

 殿山との最初の出会いは、初めて岩子島を訪ねた2010年の1月18日で、「岩子島小学校」跡地から西の方角にその姿を見て、島で出会った方に山の名前をお聞きすると、「との山」とのことでしたが、今は登る人がほとんどなく、道もないことを教えていただきました。
そんなことがあって、「殿山」は、私にとって気になる山の一つになっていましたが、今回の札所巡りの中で、分らなかった「との」の字が「殿」であることや、山中に札所があることを知り、登る日が来たのです。

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↑ 岩子島の西南端「黒崎鼻」へ向かう海岸線です。
細島や佐木島、竹原方面も見えています。 海へ向かってすとんと落ちているのは、殿山の頂きから南へ伸びる尾根の突端になります。 
急峻で判りやすい地形ですから、尾根突端に取り付き、殿山の頂きへ続く尾根を北上すれば、三十八番と三十七番札所へ辿り着けそうです。
ほとんどの山は、麓に近い所や伐採して間もないところは、日当たりが良いのでイバラなどの潅木が多く、進むのに苦労しますが、森の中へ入ると植生が安定し高木が多くなるので、人が通過しやすいものです。

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↑ 珍しく子どもがいました。 春休みなので、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられ、遊びに来たようです。
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↑ 人の横顔のような岩がありました。 

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↑ 尾根の突端です。
崖崩れ防止が施されたところのフェンスに、丸太の階段があったので、そこから取り付きました。

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↑ 尾根突端から南東を見たところです。 
布刈瀬戸の向こうに高見山も見えています。 ここから高見山の山頂までは4.5Kmあります。

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↑ 思った通り、尾根はウバメガシ(地元では、ばべと呼んでいました。)で覆われ、歩きやすくなっていました。 これなら、尾根を外さないように北進すれば、山頂に辿り着けます。

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↑ 根元にきれいなコケが付いた木もありました。
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↑ 気持ちの良いウバメガシの純林です。
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↑ 札所が見えて来ました。
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↑ 第三十八番札所土佐・「金剛福寺」です。 標高は60mちょっとあるようです。

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↑ 山頂へ向かう途中からの細島、佐木島、遠く竹原方面の眺めです。 鉄塔のあるところが黒崎鼻のある山になります。

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↑ 山頂近くから糸崎や鉢ヶ峯(標高430m)方面の眺めです。 手前右の山頂部に土が露出した山は西岩岳(標高130m)です。 どちらの山も三角点があり、私にとってはなつかしの山です。

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↑ 標高117mの山頂付近にあった第三十七番札所「土佐・岩本寺」です。 登り始めてからちょうど30分で、時間は11時25分でした。

 お参りを済ませた後、石仏を見ながら、岩子島の昔のことを考えました。
 ・人々の暮らしぶりはどんなだったのだろうか?
 ・岩子島の人たちは、どんな想いで、このような山の上に石を運び、
  札所を造られ、お参りしたのだろうか?
 ・弘法さんへの信仰心と、ご先祖や身近で亡くなられた人への供養や、
  家族やみなさんの健康と安全、そして幸せな一生を願ってのことだったのだろうか?
 ・それ以外にも私たちには想いが至らない目的のようなものがあったのだろうか?
 ・いつ頃、どんな方が取りまとめ、どんな人たちが協力し合って作ったのだろうか?
 ・石垣も含め、これらの石はどこから運んで来たのだろうか? 尾道? …

 次々と、思い浮かべる私でした。

 今回、私が初めて札所巡りをする気になったのは、

 ・好きになった向島や岩子島をのんびり歩き、いろいろ見聞きしたいとの気持ち。
 ・昨年、一昨年と、予期せぬ入院を経験したことにより、健康への感謝と自分の見つめ直し。
 ・東北の大震災で亡くなられたり、今なおご苦労されている方々への祈り。
 ・お世話になっている方々への感謝と、それらの方々の健康の祈り。

 でしたが、ある意味、年齢も、そうさせているのかも知れません。

 昼食には早かったのですが、潮風さんに用意していただいたパンと、お接待でいただいたジュースとミカンで、のんびり景色を見ながら、一人だけれども幸せなランチにしました。
 その後、高見山が見えるところがあったので、初めて潮風さんに連れて行っていただいたときの思い出に創った篠笛曲を吹いたりして、静かな時間を過ごしました。

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↑ 東の高見山方面です。 一つの島に見えますが、中央に御幸瀬戸に掛かる赤い向島大橋が見えていますから、手前が岩子島で、奥が向島であることが分ります。

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↑ 布刈瀬戸を間に、奥の左手から向島、因島大橋、因島が見えました。左手前が岩子島になります。
向島の山では、高見山や双小山が見えました。

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↑ 北西側の眼下には厳島神社の大鳥居や海の中の常夜灯が見えました。

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↑ 北東側には郷条の集落と東岩岳(標高118m)が見えました。

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↑ 郷条の集落をズームアップして見たところです。

1時間ほど山頂で過ごした後、コンパスをビニールハウスのあった東に合わせ山を降りました。
もしかしたらと淡い期待を持って下ったのですが、三十五番と三十六番の札所を見ることはありませんでした。 探しながら下ったわけではないのですから、当然と言えば当然の結果です。
ここも、いつの日か、回っておきたいと思います。



                                                   つづく




岩子島を歩く  その③

お接待の日 (4月4日) つづき

 今回、札所を巡るために私が持ち歩いた地図は、次の二つです。

その① 「岩子島四国八十八ヶ所霊場めぐり」
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↑ 潮風さんから向島のものと共にいただいた岩子島の地図です。
 この地図は、藤田久登様(元歩こう会会長)が中心となって現地確認し、歌島郷土研究会が編纂した「向島八十八ヶ所巡礼」の手書きのものを、中国新聞向島販売所の勝島幸儀様が編集された労作です。
 回りまわって、今回、私にとっては貴重な道しるべになりました。
関係のみなさま方のこれまでのご努力に対し、心より感謝申し上げます。

その② 「国土地理院地形図抜粋:岩子島」(1/12500)
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 次の三十一番札所は、三十番札所からは尾根続きに北西へ100mほどの辺りにあるようですが、行く手は鬱蒼とした竹薮になっていました。
ここは札所を設置された方の心理を考え、尾根上にあると推定し、道の消えた竹薮の中を、地図とコンパスを使って、どうにか辿り着くことが出来ました。

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↑ 竹薮の向こうに札所の石室があるのですが、判りますか? (中央やや右側です。)
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↑ 竹薮の中にあった第三十一番札所「土佐・竹林寺」です。 
長い間、お参りされた気配はなく、仏様や先人のお気持ちを考えると、寂しく感じたのでした。
 竹林寺と言う名の札所ですから、ときどき竹の間引きをして、もう少し明るくしてあげたら、海も見え、味わい深くなり、仏様も喜び、人も来やすくなるのではと思いました。

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↑ 臨済宗の阿弥陀寺さんです。たまたま私の家と同じ宗派(ただし妙心寺派)でした。
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↑ 臨済宗の阿弥陀寺さんの鐘楼です。
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 この近くに三十二番札所「土佐・禅師峯寺」があるはずなのですが、一時間ほど探したものの発見できず、ならばと、お寺の方も含め、何人かの方にお聞きしても、知ってられる方もなく、結局見つかりませんでした。

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↑ 札所かな?と思ったところです。


 西側から山を見たら手掛かりが見つかるかも…と、阿弥陀寺さんのある山を西へ下ってみましたが手掛かりはありませんでしたが、四辻の所に札所がありました。
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↑ 第七十五番札所「讃岐・善通寺」です。
ただ、4時近かったこともあり、鍵がかかっていました。

と言うことで、この日はここでお終いにし、
朝、送っていただいたところまで戻り、迎えに来ていただいた潮風さんの愛車で、向島のB&B潮風さんへ戻りました。

 潮風さん、お忙しい中を、送迎など、ありがとうございました。


 そうそう、七十五番札所と火の見櫓のある島の中央部から、東のJA集出荷場までの間で次のような真新しい看板の掛かった家がありました。

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↑ 「めだかの学校」と読み取れました。
  「ん!」 メダカの保護に取り組んでられる人がいるようですが、島では自然の状態でいるような所は気づかなかったけれど、どんな取り組みなのだろうか?
近づいて行くと、ふれあいサロンとあります。メダカではないようです。

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↑ こちらは、最初に岩子島を訪ねたとき、パンと飲み物を買ったJAの近くにあった「すずめのお宿」でした。 
今日はお休みですとの札と、入口にあった「すずめ通信」などの内容から、お年寄りの方々のふれあい施設のようでした。
 後で判ったことですが、「めだかの学校」も、同様の施設のようです。
過疎化と高齢化が進む中で、島の人たちは、助け合いながら、一生懸命生きているのが解かりました。




                                             二日目につづく








岩子島を歩く  その②

お接待の日 (4月4日) つづき

 廃道となった谷間の踏み跡を下り、毘沙郷の集落へ出た私は、十六番札所を後回しにして、十九番札所を目指しました。
車と違い、歩く旅は時間が掛かる分、眼にするものや出会いが多く、無理さえしなければ、とても楽しいものです。
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↑ 水神様が祭られた井戸がありました。 年間降雨量の少ない瀬戸内の人々にとって、水は貴重ですから大切にされて来たのでしょう。
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↑ 海辺に多い焼き板壁の民家です。出窓も味わいがあります。
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↑ 石垣、焼き板、土壁の家。建物の間は狭いですが、生活道路になっているようです。
小さな島だけに、境界を主張することなく、お互いが理解し合い、協力し、助け合い、工夫して生活して来たようです。
お接待をされる島の人々の、温和な物腰と言葉遣いから、そう感じる私でした。
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↑ 飾り瓦も凝っています。 大黒さんでしょうか?
別の隅には恵比寿さんなどもありそうです。
人々の願いが込められた民家です。
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↑ こちらは、波頭のようです。
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↑ ツタをあしらった家紋でしょうか? 左官職人の腕と心意気が光ります。

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↑ ミカン小屋だったのでしょうか? 時が経ち、少し歪んではいるものの風雨に耐えた土壁に惹かれます。
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↑ この感じも素朴で好きです。

 島の家々は、どれもが味わい深く、のんびり、ゆっくり歩きました。


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↑ 「お摂待」と染められた幟が立っています。
どうやら十九番札所のようです。
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↑ 第十九番札所「阿波・立江寺」でした。 
先着の少年がアンパンをいただき、「今から向島へ行きます。」と、にっこりして元気良く走っていきました。
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↑ 第十九番札所
 「歩いてると腹が減るから遠慮なさらず持っていきなさい!」とのことで、一人1つのところを、私も2ついただきました。
 今日の札所巡りのため、潮風さんからお借りしたナップザックの中に、お茶とビスケットを入れて来たのですが、各札所でいただいた茶菓子などで、少年同様、ザックも満杯となり、
「岩子島のお接待」が人気のある理由の一つが理解出来た私でした。


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↑ 第十八番札所「阿波・恩山寺」です。 お接待は終わったらしく、人の姿はありませんでした。

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↑ 岩子島には、立派な石垣の家が多いのですが、車のない時代、石はどこからどうして運んで来たのでしょうか? 興味は尽きません。
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↑ 第十七番札所「阿波・井土寺」です。 3名の男の方が後片付けをしていました。 
  「どこからお出でなさった?」
  「愛知県からです。」
  「遠いところからご苦労さんだったのう…、申し訳ないが茶菓子がなくなってしまったよ。」
  「いえいえ、よその札所で十分いただきましたから結構です。…」
お接待の方によると、今は車で回る人が多いので、山の上と比べ、車道沿いの札所は、茶菓子が早くなくなるとのことでした。
そして、片づけが済んだら、昨日の強風で壊れたハウスの修理に行くとのこと。
トマトは植え付けて間もなかったのでダメだろう…とも言ってられました。
そうした中でのお接待だったのです。本当にご苦労様でしたと心の中でつぶやく私でした。
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↑ 石仏には井土寺と彫られていましたが、お接待の方のお話では、四国の十七番札所のある辺りには、弘法大師が水不足に悩む村人のために井戸を掘り、以後、村の名を「井戸村」とし、寺の名前も「妙照寺」から「井戸寺」にしたとの言い伝えがあるので、こちらは間違いだったと思うとのことでしたが、戸を土にした、それなりの理由があったのかも知れません。

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↑ 第十六番札所「阿波・観音寺」です。 ここもお接待は終わったようで、きれいに片付けられていて、誰もいませんでした。

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↑ 仏さんのお顔などに墨が入っていました。 年に一度のお接待日に合わせ、お化粧をしてあげたと思われます。

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↑ 第二十二番札所「阿波・平等寺」です。 集落から離れたミカン畑の上り口にありました。

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↑ 第二十番札所「阿波・鶴林寺」です。


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↑ 第二十三番札所「阿波・薬王寺」です。

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↑ 第二十一番札所「阿波・太龍寺」です。今はお参りする人もないらしく、道が消えた山の上にありました。

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↑ 二十一番札所からは御幸瀬戸や、岩子島と向島を結ぶ赤い向島大橋、そして、向島のシンボルであり、しまなみ海道一とも言えるビュースポットの高見山(標高283m)が見えました。
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↑ 少し眼を右にやれば因島大橋も見えました。
手前に植えられているのがワケギです。この辺りもかつてはミカン畑だったと思われます。
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↑ 二十一番札所からの帰り道の景色です。 
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↑ ミカン畑の中にあった四等三角点「岩子島」(標高38.3m)です。12時半を過ぎていましたので、十九番札所でいただいたアンパンとお茶でランチにし、景色楽しみながら篠笛を吹いて過ごしました。
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↑ 三角点から見た因島方面です。


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↑ 第二十四番札所「土佐・最御崎寺」です。その名に合わせたのでしょう、岩子島の札所の中では最も南に位置し、札所ももここから土佐〇〇札所と変わっていました。
ただ、ミカン栽培を止めてからは道も消え、尾根上にあることも年配者には大変で、お参りに来られる方はほとんどいないようです。
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↑ 二十四番札所から見た布刈瀬戸と向島の津部田の集落です。背後にあるのは高見山です。
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↑ 二十四番札所から見た三原、三木島、細島方面です。
二十四番札所は素晴らしい眺望だけに、利用されないのは、もったいないと思いました。
お金をかけ、やり過ぎで趣のない遊歩道を整備するのではなく、年に2回ほどイバラなどを刈り込み、ハイキングを兼ねた島遍路として歩く方が増えたら、自然と道もつき、魅力あるコースになると思うのですが…。
岩子島だけでは高齢化と人手が足りませんので、広島周辺の歩く方や、山の会の人たちの奮起を願います。

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↑ 第二十五番札所「土佐・津照寺」です。畑の隅にありました。

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↑ 第二十六番札所「土佐・金剛頂寺」です。 名前から山の上を期待したのですが、平地にありました。

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↑ 第二十八番札所「土佐・大日寺」です。 こちらは山の途中の畑の隅にありました。
「大日寺」と言う名前の札所は三つ目です。


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↑ この道を登り切ったところから左手の尾根に取り付き、二十七番札所を目指しました。
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↑ 第二十七番札所「土佐・神峯寺」です。 山を登り、イバラをかき分けながら、どうにか辿り着くことが出来ました。


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↑ 第二十九番札所「土佐・国分寺」です。


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↑ 第三十番札所「土佐・善楽寺」です。畑を上がった竹薮の隣にありましたので、お参りに来られる方はないかなと思って行ってみたら…
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↑ 真新しいスイセンの花がありました。


                                                    つづく

 〔補足〕
   札所を巡る順が番号順になっていないのは、
お参りの流れについて行ったり、道が消えてい行けなかったり、近回りをしたためで、
文中の記載は、実際に回った順にしてあります。





岩子島を歩く  その①

プロローグ
岩子島 (いわしじま)
岩子島は、瀬戸内海に浮かぶ周囲8Kmほどの小さな島です。
私が定宿にしているB&B潮風さんのある向島の西に寄り添うようにしている
ワケギとトマト栽培が盛んな農業の島で、行政上は尾道市に含まれます。
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      地図上で左クリックし、画像を拡大してご覧ください。(以下同じ)

お接待
 瀬戸内のほとんどの島には、島四国とか、新四国、島遍路、写し霊場などと言われる四国の八十八ヶ所に倣った小さな札所があり、毎年、春の決まった日に、「お接待」と言って、地域の方々が、札所(お大師堂)を巡る人たちを、菓子などで、おもてなしをする慣わしがあることを、2009年の春、向島のため池巡りをしているときに、大池奥池で出会った吉原さんから教えていただき、いつの日か歩いてみたいと思い、潮風さんにもお話していました。

 3月28日、潮風さんから、向島のお接待日が4月4日と教えていただいた私は急ぎ旅支度をし、3日夜、ときならぬ春の嵐の中をB&B潮風さんに入ったのでした。
 久々の再会に楽しい時間が過ぎていく中で、今回の予定などの話をしているときです。
「明日は、岩子島もお接待があるので、岩子島が良いかも…」とのアドバイスを潮風さんからいただきました。
 向島については2年前から準備をしていたので、札所のおおよその位置は掴んでいましたが、岩子島については掴んでなかったので、どうしたものかと思っていたら、「これを使ってください」と、札所の位置が入った向島と岩子島の地図を下さったのです。
国土地理院の地形図ほどの精度を期待するのは無理としても、判らないときは地元の方に確認しながら歩けば回れそうなのと、コース距離が短いため、滞在中に全札所を回ることが出来そうと判断し、岩子島を回ることにしたのでしたが…。

(ご参考)
   因島のお接待は4月11日です。 島によって日にちが設定されているようです。


お接待の日 (4月4日) 

 岩子島へは、潮風さんが愛車で送ってくださいました。(^^);
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↑ 岩子島の民家と東岩岳です。
尾根筋にも札所があります。手前の畑にあるのが生産量全国一とのワケギです。 (車を降りたJAの集荷場付近から見上げたところです。)

 とりあえず一番札所を目指し歩き始めたのですが、一、二番札所とも、高齢化などで、お接待をやってないとのこでしたので、お遍路をするみなさんの流れに合わせ、スタート地点として三番札所を目指しました。


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↑ 幟の立っているところが札所のようで、かなりの賑わいです。
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↑ 第三番札所の「阿波・金泉寺」でした。 素朴な石仏の前には、お花や食物などがお供えしてありました。
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↑ お参りを済ませた方が、お接待を受けるところです。
一人分ずつ漆器の皿に盛られた茶菓子を参拝者が選んでいただく方式で、
札所によっても異なるようですが、今年も1000人から1600人分ほど用意しているとのことでした。
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↑ お接待を初めて体験した三番札所の風景です。

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↑ 三番札所から路地を一分ほど歩くと、第四番札所「阿波・大日寺」でした。
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↑ 第四番札所にも素朴な石仏がありました。
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↑ 四番札所のお接待風景です。

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↑ 畑の隅にあった第五番札所「阿波・地蔵寺」です。 その名の通り石のお地蔵さんがありました。

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↑ 六番札所へ向かう、集落の中の小道です。車の無い時代は、これだけの幅があれば用が足りたようです。
 写真の民家は、白壁に漆喰などで化粧を施し、焼き板壁に本瓦葺きと、味わいがあります。 岩子島には、築年数を重ねた魅力的な民家が多く、そのような家々をのんびり観て歩くのも良いように思います。
ただ、痛んだときに、改築したり、新しく造り換えるには、建築法や消防法の規制が立ちふさがり、奥まった所に位置する家は家も立てられないと思いますので、行政として、何らかの救済法を整備してあげる必要性を感じました。
 道が狭く車が入れない家が多いことは、例え仕事があったとしても、若い方を島に留まらせるには難しいように思いました。
 朽ちかけた空き家などの整理による共有スペースの確保と活用が必要に思いました。
 事実、お接待の賑わいに反し、かつて1500人ほどが住んでいたとの島の人口が現在は620名ほどで、小学生は6人しかいないとのお話には、衝撃を受けました。
 気候も温暖で、景色も良く、車さえあれば尾道の街までは30分もあれば行けると思いますので、二三世帯が同居し、兼業も可能な環境だけに残念に思います。
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↑ お接待の方々です。どの札所もお接待する側に若い方は少ないのですが、年に一度、こうして、例えよその島からでも、大勢の子どもたちが来て賑わってくれるのがうれしいとのことでした。
これで、お孫さんを連れて一緒に札所を歩けたら、島に住む人々にとって、は最高の幸せなんだろうな…と思いました。
 「昔は、おじいさんやおばあさんに連れられて、島中歩いたよ…」との懐かしく話してくださった方の表情に、全ての想いが入っていたように感じました。
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↑ 第六番札所「阿波・安楽寺」です。

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↑ 次の札所へ向かう人々です。
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↑ 納屋として使っているのでしょうか?土壁の味わいのある大きな家と石垣のある民家との間を進みました。
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↑ 井戸の向こうに札所が見えて来ました。
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↑ 第八番札所「阿波・熊谷寺」でした。人の流れに委ねていたので、先に八番札所へ来たのでした。

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↑ 再び車道へ戻り、坂を行くと、次の札所が見えてきました。 
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↑ 第七番札所「阿波・十楽寺」です。 お顔に墨入れされた、子どものような表情のかわいい石仏でした。
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↑ 人々の気持ちであるおコメとお賽銭がたくさんありました。
私は、今回の島遍路を実行するために、硬貨を貯めて持って行きましたので、お賽銭を切らすことなく札所を回ることが出来ました。

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↑ 島に二つあるトンネルの一つ岩子島隧道が見えてきました。次の札所へは、右手の坂を上がります。
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↑ 坂を上り、ゆるく右にカーブした九番札所 (右側の黒い屋根と、せり出した尾根との間に少しだけ見える小さな青い屋根が札所です。)のある辺りです。(次の札所へ行く途中で撮りました。)

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↑ 第九番札所「阿波・法輪寺」です。
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↑ 九番札所の石仏とお供えです。

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↑ 十番札所へは、細く急な山道を行きます。
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↑ 第十番札所「阿波・切幡寺」です。女性の方々が穏やかな表情でお接待をされていました。
岩子島の方々にとって、私は、見かけない顔ですので、「どこから来られた?」とか、いろいろと質問攻めに遭いましたが、島の方々は、よそ者である私にも、とてもフレンドリーで、「よう、お出でなさった」と、感謝されました。
こちらこそ、ありがとうございました。
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↑ 十番札所の帰り道で、西の方角に見えた殿山(標高117m)です。
山頂や尾根筋には、いくつかの札所がありますが、今は山へ上がりお参りする人はいないとのことでした。

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↑ 第十一番札所「阿波・藤井寺」です。阿弥陀寺近くの道の交点にありました。

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↑ 第十二番札所「阿波・焼山寺」です。 きれいにされた祠の中には、千手観音のような石仏と、お供えがあり、お線香が上げられていました。

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↑ 第十五番札所「阿波・国分寺」のお堂内です。きれいに飾られていました。
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↑ 十五番札所は尾根上の高台にあり、日当たりと景色が良かったです。
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↑ 急で狭い山道を、子どもたちは次々と自転車を引いて登って来ます。
  「頑張るね。…」と声を掛けたら、
  「早く周って向島にも行かないとならないからと…」との返事。
春休みの子どもたちにとって、お菓子がたくさんいただける今日は、うれしいうれしいお接待の日のようです。
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↑ 十五番札所付近から北東方向を見たところです。
尾道水道と御幸水道が合わさる海や、尾道の街、向島などが見えました。
左手、円錐状の山は、なつかしの東岩岳(標高118m)です。

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↑ 十四番札所「阿波・常楽寺」です。農家の敷地内にありました。
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↑ ご主人が軽トラックの荷台にお接待のお菓子などを並べて、お参りに来られる人々にご苦労様と言いながら渡してられました。
傍らには、ご主人同様、温和な犬が尻尾を振っていました。
  「見たことのない方だが、どちらからお出でで?」
  「愛知から来ました…」
  「それは、遠くからご苦労さん。」と、数人分のお菓子を手渡しされたので、
  「一つあれば結構ですから、後で来る子どもさんたちに上げてください…」と辞退すると、たくさんあるからとのことで、そのまま、いただきました。
なお、十四番札所は、ご先祖さんの代から、個人でお守りしているとのことでした。
 作業場と庭先を通らせていただき、次に向かったのは、十四番札所をお守りされている方の屋敷入口横にあった十三番札所です。

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↑ 第十三番札所「阿波・大日寺」です。
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↑ お堂の中では、3人の方がお接待をされていました。
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↑ お堂から振り返った所です。中々急な石段です。
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↑ お堂の東側には、向島の大影山(標高167m 通称:土井山)が見えました。
かつて早朝散歩で二度登っていますので、これまたなつかしの山です。
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↑ お堂の南には、本因坊秀策の生まれた因島が見えました。 

(ご参考)
 本因坊秀策は、囲碁をやるものにとって、かくありたいと願う憧れの人と言えます。
本因坊秀策は、後に秀策流と言われる布石を残し、現代の棋士も、棋譜を並べて研究していますが、ただ強いだけではなく、考え方、手の広さに棋士として素晴らしさがあります。
そのうえ、江戸にコレラが流行ったとき、自分の身を省みることなく弟子たちを看病し、結局自らも感染し、若くして逝った人柄なども含め、現代にあっても、棋士としての人気は衰えを知りません。


 人の流れのままに、十、十一、十二、十五、十四、十三と、高台にある札所をお参りして周った私は、一旦、麓にある十六番以降の札所へ向かうことにしました。
 家から持って行った1/12500地形図を見れば、谷間を下りれば十六番札所はすぐに思えたので、十四番札所へ戻り、お接待をされていたご主人にコースについて確認すると、今は歩く人がいないので手入れはされていないが、踏み跡はあるとのことでしたので、地形図を頼りに駆け下り、数分で十六番札所に行くことが出来ました。
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↑ 十四番から十六番札所への近道です。
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↑ 土壁の家と、民家の庭先を通らせていただくと、郵便局から南へ向かう車道に出ました。



                                               つづく


竹原  つづき

4月3日

■本町界隈 その②
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↑ 町を歩いていたら「修景広場」と言う新しい空間がありました。町並みを歩く人の休憩所のようです。
竹原の地名に合わせたのでしょう。笹や竹を生かした空間でした。
3.11災害の被災地を励ます言葉が刻まれていて、ふるさとが被災した私にとって、うれしいことでした。
私は、札所を利用させていただいたのですが、雨の日の休憩所もあると旅人にとっては、更にうれしい気がしました。
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↑ 珍しい六角形の井戸です。尾道もそうでしたが、島嶼部も含め、年間降水量の少ない瀬戸内の各地には、水を大切にする文化が根付いているように思います。
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↑ 伝統を感じる透かし彫りも随所に見られました。
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↑ 竹を生かした堀の安全カバーです。金属のフェンスと違い、町並みとも調和が取れていました。
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↑ 側溝の蓋も、景観と濡れても滑らないように工夫がされていました。
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↑ 白壁、土壁、焼き板壁に、意匠を凝らした窓など、味わいのある民家が多くありました。
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 台風のような風雨の中での町並み歩きでしたが、感じる心地よさは何から来るのか不思議でした。
職人さんたちが、その技を発揮し丁寧に造っていること。そして、それらの建物などを大切にして来た人々たちの想いが、私たち旅人の心に響くのかも知れません。
竹原は、同じ広島県の尾道や鞆、上下、府中同様、いい町でした。
私が定宿にしているB&B潮風さんの話しによれば、庄原や三次など、まだまだたくさんの心地よい町があるようですので、健康なうちに広島通いをするつもりです。
 竹原ですが、ただ、気になることもありました。
それは、全国各地に見られるシャッターが閉められた店が多いことでした。
地方の文化を絶やさないためにがんばってられる人々の幸いを願わずにはいられません。
ありがとう、竹原。
いつの日か、再訪したい町でした。

〔追記〕
 ①昼食
 駅近くの食事処「ふ志゙や」さんで「カキどんぶり」をいただいたのですが、これが抜群に美味しかったです。(850円ぐらいでした。)
 この季節、竹原を訪れた方には、お勧めです。★★★★★に近いかな。
 ②強風で電車がストップ
 2時間近くたっても動く気配がなく、バスなどを乗り継いで、何とか明るいうちに潮風さんへ入ることが出来ました。
潮風さんは心配され、携帯へ電話を下さったのですが、気づかぬ僕でした。すみません。そして、ありがとうございます。


竹原(広島)

■2012年4月.3日
 2年ぶりの広島なのですが、雨男の私は、よりによって温帯性低気圧が968hPaと大型台風なみに発達する予報が出ている中での旅立となってしまいました。

 先回来たとき、向島にあるB&B潮風さんに、竹原はいい所とお聞きしていたので、安芸の小京都と言われる竹原を訪ねました。
B&B潮風さんは、西日本へ行くときの定宿にしている民宿で、私にとっては、ふるさとのような心が癒される宿です。
 
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↑ 三原駅から呉線に乗りました。
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↑ 海岸を走る呉線は、一度は乗ってみたかった路線ですが、あいにくの横殴りの雨の中でした。
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↑ 電車は、女性運転士のワンマンカーでした。(レンズを向けては失礼と、運転士さんの写真は撮っていません。)
平日で天候が悪いこともあってか、車内は空いていました。
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↑ 雨雲の中の安芸長浜です。

 幸い、竹原駅に着いたときは思ったよりは風雨が弱くなっていましたので、駅前の観光案内所で頂いた地図を頼りに、気をつけて町へ出てみました。

■港町界隈
 始に港町の路地を歩いてみました。
景観地区の指定はないものの、所々に趣のある民家があります。
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↑ 個性的な格子のある窓が見られました。
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↑ 浄土宗の長建寺本堂です。
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↑ 長建寺の鐘楼です。
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↑ 長建寺にあった二層造りの福衆殿です。
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↑ 水が出たときに備えているのでしょうか?高座に安置された赤ん坊を抱いたお地蔵さんがありました。
八鹿地蔵大菩薩と読み取れたのですが、どんな謂れなのでしょうか?
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↑ 風雨が強くなったとき、しばらく休まさせて頂いた、新四国八十八ヶ所札所の大窪寺です。石で出来た薬師如来が祭ってありました。

■本町界隈(重要伝統的建造物群保存地区) その①
 江戸時代に製塩や酒造業で栄えた町とのことで、趣のある建物が見られました。
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↓ 旧笠井邸が無料開放していたので、中を見させていただきました。
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↑ 竹原が舞台だったと言うアニメ「たまゆら」のセル画が展示してありました。2月11日~3月12日に開かれた「たけはら町並み雛めぐり」のときは、大勢の若者たちで賑わったとのことでしたが、今回は悪天候であったため、観光らしい人は数人見かけただけで、私自身にとっては、静かに歩くことが出来、良かったです。ただ、風が強く、傘はさせませんでした。
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美を感じた一日

■3月22日 
 午前の用事が早く済んだので、昼から「碧南ビエンナーレ展」に行き、いろんなジャンルの意欲的な作品に触れることが出来ました。
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↑ 会場風景です。
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↑ 柴田まさるさんと、作品「おび」です。 蛙がモチーフなので、蛙好きの私にはいつも楽しみな作品です。
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↑ 碧南市藤井達吉現代美術館です。


 美術館のある辺りは、古い町で、心惹かれる建物などがありました。
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↑ 美術館(手前左)目の前にあった浄土真宗西方寺の太鼓堂です。かつて学校だったとのことでした。
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↑ 九重味醂㈱の現役の建物で、国の登録文化財になっているとのことでした。 
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↑ もう一つ、興味を惹かれたのは、道路拡幅のため廃業した創業200年の鍋屋金物店(通称:ナベカン)さんの幕末から昭和期の金物の展示です。
ご主人の加藤勘恵さん(77)によれば、廃業に伴い、全て廃棄する予定だったのだが、いろんな方が、歴史的価値のあるものが多いので、もったいないとの言葉に、それならと、建物をギャラリー風にして、昔の金物店のような展示で、一般の方々に開放されているとのことでした。
日曜を除く午前9時~午後5時に開いていて、入場は無料とのことです。
碧南へ行ったら、ぜひ、覗いておきたい所と言えます。


春分の日

■3月20日(火) 
 今日は春分の日でした。
 昼と夜の長さが同じ日で、国民の祝祭日と言うことぐらいしか知らなかったのですが、今日の新聞によると、「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」と法律で定められているそうです。

 それはともかくとして、今日は火曜日でしたから、朝からカエル谷で以下の作業をしました。
   ①風の谷から資材の移動
   ②ぬかるんでいた観察路の補修
   ③竹の取り除き

 以下は、今日、観ることの出来た生物たちです。
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↑ ヤマウグイスガグラです。
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↑ 昨年の5月31日に撮ったヤマウグイスカグラの実です。 
スッキリした甘さがあり、とても美味しいです。
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↑ ショウジョウバカマです。
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↑ テングチョウです。 すごいスピードで飛び回っていましたが、疲れたらしく、地上へ降りて長い休憩に入ったところを撮らせてもらいました。陸上で言ったら、せいぜい1500mくらいまでの選手かも知れません。
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↑ ニホンアカガエルとヤマアカガエルのオタマジャクシです。
今年の場合、暖かくなったらまた寒くなるの繰り返しだったこともあり、産卵時期が一月よりも長かったため、オタマジャクシの成長にもバラツキがありました。



春の気配

■3月6日 カエル谷

 今年もフキノトウが顔を出しました。
 少ないので、採らないで鑑賞だけです。
 ふるさと(雪国)と違い、愛知はフキノトウが少ないです。
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フキノトウ

■3月6日 カエル谷

 今年もフキノトウが顔を出しました。
 少ないので、採らないで鑑賞だけです。
 ふるさと(雪国)と違い、愛知はフキノトウが少ないです。
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蝶の冬眠

■3月6日 雨上がりのカエル谷

 小屋と石垣の間の草むらで、今年はキチョウが越冬しています。
 Sさんの話では、暖かい日は、いなくなるときがあるとのことでした。
 そういえば3日に来たときは姿が見れませんでした。
 越冬トンボ同様、暖かい日は餌を取りに出かけるようです。
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セツブンソウ(節分草)

■2月16日
 明日よりも今日のほうが天気は良いとの予報に、友人と3人で急遽セツブンソウを見に行って来ました。
 有名なお寺さんと、今回見つけた某所の二ヶ所で観ることが出来ました。
天候が予報と違い、曇りで気温が3℃と寒い日でしたが、久々のセツブンソウの花に出会え、心は満たされました。
 新たな群生地が発見出来たのも良かったです。
これらは、次の時代にも残ってほしいと思いました。
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越冬するトンボ

■2月12日

 木の葉の落ちた季節に山を歩いていると、枯葉色した細く小さなトンボに出会うことがあります。
 それらは越冬トンボの仲間で、日本にはオツネントンボホソミオツネントンボホソミイトトンボの三種類いるのですが、変温動物であるトンボたちが、気温が低い時期に飛び回ることは、ほとんどありませんので、余程運が良くないと出会うことはないようです。

 私が最初に越年トンボに出会ったのは、35年ほど前の雪のちらつく峠道でした。
冬にトンボがいることなど知りませんでしたから、それが何と言う名前のトンボだったかは判りません。
ただ、非常に驚き、感動したことを、今でもはっきり覚えています。
その後も、元日の雪山の頂きや、林の中での出会いがありましたが、いずれも偶然の結果でした。

 文献などによれば、越年トンボたちは、日当たりが良く、あまり風の当たらない林などで越冬すると記されています。
ならば、越冬地を探そうと、今年の冬は時間を作っては可能性の高い各地を探し歩きました。
しかし、中々なのです。
秋の終りに越年トンボを見た所や、集団産卵に来ていた水辺近くの林を重点的に見ているのですが、一頭ぐらいは見つけても、二桁はいて越冬地と言っても良いような所は見つからないのです。
 そんな私の話を聞いたトンボ界の重鎮Tさんが、一度勉強のために越冬地を観ておかれたらいいと言って、Oさんを紹介してくださり、翌日Oさんのフィールドを案内していただいて、見つけるヒントを頂きながら、何とか2種21頭の越年トンボを見つけることが出来たのです。
その一部を下記にアップしておきます。

 神様が鳥などに見つからないようにしてくれたのでしょうか。
なるほど、慣れないと発見は困難です。
昨年、両眼とも網膜はく離の手術をして視力が低下した私ですが、どうにか見つけることが出来ました。
 この感覚を生かして、今後は自分のフィールド内で越冬トンボを見つけたいと思います。

 Tさん、Oさんには、改めて感謝申し上げます。
なお、Oさんは、住所などは知りませんでしたが、私たちのフィールド「カエル谷」へ、時々トンボの撮影に来られていたOさんでした。今後ともよろしくです。

 
 写真は、アップされているため見やすくなっていますが、それでも 「どこにいるの?」 と言う感じのものもいます。
各写真に1頭写っています。 ぜひ、探してみてください。
(判りにくいときは写真の上で左クリックし、拡大してご覧ください。)

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↑ホソミオツネントンボ♂
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↑ホソミオツネントンボ♂
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↑ホソミオツネントンボ♂
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↑ホソミオツネントンボ♂
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↑ホソミオツネントンボ♂
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↑ホソミオツネントンボ♂
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↑ホソミオツネントンボ♂
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↑ホソミオツネントンボ♀
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↑ホソミイトトンボ♂
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↑ホソミイトトンボ♂
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↑ホソミイトトンボ♂
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↑越冬地です。






地図とコンパスを使った山登り

■2月4日(土)
 1月7日につづき、山の仲間と、地図とコンパスを使った山歩きをして来ました。
目的地は足助の城山と忝生(きぴゅう)です。
忝生は「愛知の100山」になっていますので、たくさんの方々が登ってられますが、「城山」は道がないことなどもあり、登る方がほとんどいません。
城山と忝生は、木の葉が落ちた季節に尾根を辿れば30分ほどで行けますので、地図とコンパスを使いこなして、ぜひ、歩いてみてください。
城山から南へ下れば香嵐渓や情緒ある足助の町並みがすぐです。

 歩き方は、各人が地図とコンパスを使って好きなルートを進み、地図上の所々にある赤丸の集合地点で、全員が到着するのを待つ形式です。
 どのルートをとるかや、各人の能力で到達時間はバラツキますが、回を重ねるごとに地図読み能力は高くなり、迷わない山歩きが出来るようになります。
それに、道なき道を行きますので、いろんな発見があり新鮮なのと、静かな山歩きが出来ます。
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 ↑ 地図上の赤い点線が私が歩いたルートです。
      (地図上で左クリックし、拡大してご覧ください。)
なお、忝生からの下りは、幹事さんの提案で、みなさんと一緒に おしゃべりをしながら一般ルートを歩きました。
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 ↑ 巴川です。
この橋から1.2kmほど上流で足助川が合流します。
合流点の南、巴川側が紅葉とカタクリで有名な香嵐渓になります。
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 ↑ 登り口の神社です。
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 ↑ 車を置いたところから今から辿る城山方面を見たところです。
最初の全員集合地点の鉄塔(中央左手)が見えています。
 車を巴川の対岸にある公共駐車場に置かせていただき、橋を渡ってすぐの神社の上手より尾根に取り付き、最初は高圧線の鉄塔を目指しました。
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 ↑ 登山口から城山へ向かう尾根の景色です。
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 ↑城山の頂手前から西方忝生方面を見たところです。
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 ↑ 尾根筋に無数にあったキツネの足跡です。
尾根を忠実に辿っているキツネの足跡が、結果として私たちを誘導してくれました。
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 ↑ 忝生からの下りの作業道には、キツネに混じってノウサギの足跡がたくさんありました。
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↑ 最初の集合地の鉄塔近くで、次のルート検討をするみなさんたちです。
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 ↑ 城山の頂で、記念撮影におさまるみなさんです。
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 ↑ 城山と忝生間の尾根筋です。キツネの足跡がありました。
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 ↑ 忝生の山頂です。
私たちの大半は、岩の陰のほうから登って来ました。



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 ↑ 一月に歩いた山の地図とルートです。

なお、これらの地図は、国土地理院発行の1/12500地形図を基にしています。

初日の出

 2012年の初日の出です。     (みよし市さんさんの郷にて)

 震災にあった方々にとり、今年は良い年であることを願います。
 そして、人間をはじめ、全ての生きものたちにとっても幸多い年であることを願います。

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