岩子島を歩く  その⑤

4月5日 (島遍路 二日目…お接待の翌日)

 厳島神社へ向かう

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↑ 殿山の東、ビニールハウスが並ぶ所に出た私は、再び海岸沿いを西へ向かい、厳島神社近くの三つの札所を目指しました。

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↑ 振り返ると因島大橋が見えていました。

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↑ 黒崎鼻の付け根にあたる峠から、西岩岳を見たところです。

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↑ 岩子島の南西端にある黒崎鼻です。 水がきれいでした。 

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↑ 三十九番札所は、廃墟と化した海の家?の横のクスノキの陰にありました。
厳島神社とは眼と鼻の先に位置するのですが、近年はお参りされる方もいないようで、仏様も寂しそうに感じました。
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↑ 第三十九番札所「土佐・延光寺」です。 夏になれば、草むらの中に隠れてしまいそうです。


 次の四十番札所は、いただいた地図によれば、三十九番札所と厳島神社の間にあるはずなのですが、位置を変えられたのか、中々見つかりませんでした。
島の人の話では、都合で位置を変えた札所もいくつかあるとのことでした。
実際、回ってみると、進行方向の右と思っていたのが左にあることもありました。
 それらも含め、範囲を広げて探しているうち、結果として、参道沿いにあった四十一番札所を先に見つけました。

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↑ 第四十一番札所「土佐・龍光寺」です。


 四十番札所は、意外な所にありました。
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↑ 神社裏手の崖の穴の中にあったのです。

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↑ 第四十番札所「伊予・観自在寺」です。 先ほどの三十九番札所同様、しばらくお参りがされていないようでした。
 なお、ここから土佐を倣った札所が、伊予〇〇に変わりました。

 厳島神社は、最寄りの集落から7~800mほど離れている上、坂を上り下りしなければならないこともあり、高齢者が多くなった現在、お参りが困難になっているようです。


 寄り道して厳島神社
 トンネルを出た所や、山の上から眺めたり、写真で見ていた厳島神社です。
初めて間近に見ることが出来ました。 夕日がとてもきれいな所と聞いてましたから、
今度来るときは夕日が見れる時間にしたいと思いました。
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↑ 赤穂四十七士の奉納額がありました。 
今は、荒涼とした厳島神社でしたが、昔は参拝客も多く、賑わっていたようです。


 次に、四十二番札所を目指しました。
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↑ 車道を横切り山裾を北へ向かうと、右手に手入れされた道があり、
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↑ 道の終わりに札所と思える石仏が見えて来ました。
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↑ 第四十二番札所「伊予・佛木寺」です。
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↑ ただ、石仏を囲っていた石が崩れたままになっていて、ここも、お参りの人がいないようでした。
標識で判ったのですが、道が手入れされていたのは、高圧線鉄塔の巡視路だったからでした。
巡視路は山へ向かっていて、かつての遍路道はそのまま山裾を行く感じでしたが、藪の中に消えていましたので、次の四十三番札所は、一旦、車道へ戻り、トンネル側から探すことにしましたが、雨が降ってきたので今日の札所巡りは打ち切りにしました。

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↑ 浜之浦隧道です。


 バス停のあるJAの集出荷場までは、直線で1Kmほどなので、島の景色を楽しみながら、
のんびり戻りました。
 朝、潮風さんに送っていただいた近くでゲートボールをしていた島の方たちが私に気づき、   「今日もお出でになったのですか…」と、話しかけてこられました。
見慣れぬ顔なので、みなさん、すぐに気づいたようです。
  「今からどちらへ?」
  「向島の宿へ帰ります。」
  「ほな、もうじきバスが来るよ。」
と言うことで、運良く、平日の午後は一便しかないバスに乗れ、B&B潮風さん近くの小浦渡へ戻ることが出来ました。
運賃は270円と安く、驚きました。 (おのみちバス向島循環線)

 潮風さんは用事で留守でしたが、自室に戻り、着替えてから、本を読んだり、篠笛を吹いたりして過ごした後、渡船で尾道へ渡り、村上さんでお好み焼きを食べました。

  「毎週水曜日に、坐骨神経痛で病院通いをしてるんよ…」と言いながらも、
明るく笑うおばちゃんとの久々の対面は、うれしかったです。
勿論、砂づりも、おまけでいただいた草もちも、美味しかったです。

  「焼肉屋さんは、今日はこれから?」
  「もう少し経ったら来ると思うよ…」
  「そうそう、堂林さん、一軍に入り、頑張ってるよ!」 と、おばちゃん。
憶えていてくれてうれしかったです。
彼が高校を出て広島へ入った年に、ここで知り合った、52年の中京商と決勝で戦った尾道商の元甲子園球児の焼肉屋さん(久保町の楽天)が、
  「彼は、将来、広島の主軸になるよ…」と言い、応援してると言ってられたのでした。
同じ町出身の堂林選手には、ぜひ、活躍してほしいです。 広島の方々、よろしくです。

 堂林選手、みんなで応援しています。 

 村上のおばちゃんも、お元気で。



                                                    
 










 

 

岩子島を歩く  その④

4月5日 (島遍路 二日目…お接待の翌日)

 今日も岩子島の札所巡りをすることにしました。
全部回ってしまいたいと言うことよりも、三十二番札所を見つけておきたいとの気持ちがそうさせました。
いわゆるリベンジです。

 昨日は、阿弥陀寺のある山の上から探し回ったのですが、見つけることが出来ませんでした。
山は、頂を目指す登りに対して、範囲が広く、方向が定めにくい下りが迷いやすいものです。
と言うことで、発想を変え、先に麓にある三十三番札所へ行き、そこから山を登りながら三十二番札所を見つけることにしました。

 お昼用にと、B&B潮風さんでいつもいただいている尾道人御用達のサンモルテさんのパンを二つ用意していただき、今朝も潮風さんに岩子島まで送っていただいての再スタートです。


 三十三番札所は、バス停のあるJA集出荷場隣の広場から西へ向かい、岩子島隧道を抜け、火の見櫓と七十五番札所のある辻に出て左折し、南へ100mほど行った辺りにあるはずです。

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↑ 大林信彦監督の映画「ふたり」の舞台にもなった火の見櫓のある辻です。
右隣が、昨日、最後にお参りした第七十五番札所の「讃岐・善通寺」です。
 私も数年前に尾道に来てから知ったのですが、向島や岩子島は、尾道の街と共に大林映画のロケ地として、たびたび使われているようです。


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↑ 少し歩くと右手に札所らしいのが見えて来ました。
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↑ 第三十三番札所「土佐・雪渓寺」です。
雪渓とは、山好きには響きの良い言葉ですが、雪国でない四国の寺の名とした謂れは何でしょうか? 興味が尽きません。

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↑ 札所の左手の路地の奥に阿弥陀寺へ行けそうな古い山道がありました。
ここを行けば三十二番札所があるのではと期待して登って行くと、菜の花がきれいに咲いていて、ハナアブやミツバチが飛んでいました。
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↑ 振り返ると春の彩の中に、郷条の集落が見えていました。 
静かで、のどかな、旅の空です。 のんびり行くことにしました。
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↑ かつては人の往来も多かったと思われる古い石段があり、阿弥陀寺まで辿り着いたものの、札所は見つかりませんでした。

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↑ ならばと、再び麓に戻り、三十二番札所の位置をお尋ねしようと、とある民家の庭先へ入って行くと、外で仕事をしていたご主人が、こちらの気配を感じて、にっこりしながら声を掛けて来ました。
  「昨日、十七番札所でお会いした愛知から来た人ではないですか…」 
そうです。十七番札所で、お話しを聞かせていただいた方でした。

 偶然の再会と、憶えてられたことに驚きながら、お話を伺えば、十七番札所は母方の在所で、子どものときから、お接待に行っていたので、今でも手伝っているとのことでした。
 三十二番札所を探していることをお伝えすると、位置的には裏山のどこかと思うが、行ったことがなく判らないとのことでした。
そして、以下の貴重な情報が得られました。
・岩子島の札所は個人の小さな札所が多く、そこの方が歳をとったりすると、お接待を止められるので、山の上のほうの札所の場合、行く人もいなくなり、判らなくなること。
・今でもお接待をしている札所は、30ヶ所ほどになっていること。

そんな状況なので、2日間、探し歩いた第三十二番札所でしたが、今回は探すのを打ち切り、次の札所を目指しました。


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↑ 海へ向かって南へ歩いていくと、集落の外れに札所らしきものが見えました。
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↑ 第三十四番札所「土佐・種間寺」です。 きれいにはなっていますが、お花などがないところから昨日のお接待はなかったようです。


 次に向かったのは三十五番札所と三十六番札所でした。
  「やあ! 今日も来られたのですか? …」
ビニールハウスの修理をしていた二人の方が、声を掛けてくれました。
どこかのお接待所で、私を見かけ、昨日と同じ格好の私を憶えていてくれたようです。
三十五番札所を目指していることを告げると、
  「長いこと誰も入ってないので見つかるかなぁ…。昔はこの奥に山に上がる道があったんだが…」
  「何とか、頑張ってみます。…」
 作業をしている横を通らせていただき、山へ向かってはみたものの、イバラが衣類に引っ掛かり、何度も進路を妨げるため、今回は探すのを諦め、元の所へ戻ったのでした。
次に来るときは剪定バサミを持って来ようと思います。
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↑ 3日の強風で損壊したビニールハウスです。 植えられているのは岩子島名産のワケギです。
背後の山は殿山(標高117m)で、三十五番と三十六番札所は、手前中腹にあるはずなのですが、10年近く人が入った形跡はありませんでした。

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↑ ビニールが飛ばされてしまい、むき出しになったトマトです。 
  「植えて間もなかったので、ダメだろうなぁ…」との言葉に、やりきれない辛さが滲んでいて、心の中で、頑張ってくださいと叫ぶ私でした。

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↑ 海に出ました。 見えている橋は、布刈瀬戸の向島と因島を結ぶ「しまなみ海道」の「因島大橋」(長さ1,270m、)です。



「殿山」の札所を目指す

 殿山との最初の出会いは、初めて岩子島を訪ねた2010年の1月18日で、「岩子島小学校」跡地から西の方角にその姿を見て、島で出会った方に山の名前をお聞きすると、「との山」とのことでしたが、今は登る人がほとんどなく、道もないことを教えていただきました。
そんなことがあって、「殿山」は、私にとって気になる山の一つになっていましたが、今回の札所巡りの中で、分らなかった「との」の字が「殿」であることや、山中に札所があることを知り、登る日が来たのです。

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↑ 岩子島の西南端「黒崎鼻」へ向かう海岸線です。
細島や佐木島、竹原方面も見えています。 海へ向かってすとんと落ちているのは、殿山の頂きから南へ伸びる尾根の突端になります。 
急峻で判りやすい地形ですから、尾根突端に取り付き、殿山の頂きへ続く尾根を北上すれば、三十八番と三十七番札所へ辿り着けそうです。
ほとんどの山は、麓に近い所や伐採して間もないところは、日当たりが良いのでイバラなどの潅木が多く、進むのに苦労しますが、森の中へ入ると植生が安定し高木が多くなるので、人が通過しやすいものです。

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↑ 珍しく子どもがいました。 春休みなので、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられ、遊びに来たようです。
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↑ 人の横顔のような岩がありました。 

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↑ 尾根の突端です。
崖崩れ防止が施されたところのフェンスに、丸太の階段があったので、そこから取り付きました。

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↑ 尾根突端から南東を見たところです。 
布刈瀬戸の向こうに高見山も見えています。 ここから高見山の山頂までは4.5Kmあります。

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↑ 思った通り、尾根はウバメガシ(地元では、ばべと呼んでいました。)で覆われ、歩きやすくなっていました。 これなら、尾根を外さないように北進すれば、山頂に辿り着けます。

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↑ 根元にきれいなコケが付いた木もありました。
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↑ 気持ちの良いウバメガシの純林です。
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↑ 札所が見えて来ました。
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↑ 第三十八番札所土佐・「金剛福寺」です。 標高は60mちょっとあるようです。

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↑ 山頂へ向かう途中からの細島、佐木島、遠く竹原方面の眺めです。 鉄塔のあるところが黒崎鼻のある山になります。

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↑ 山頂近くから糸崎や鉢ヶ峯(標高430m)方面の眺めです。 手前右の山頂部に土が露出した山は西岩岳(標高130m)です。 どちらの山も三角点があり、私にとってはなつかしの山です。

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↑ 標高117mの山頂付近にあった第三十七番札所「土佐・岩本寺」です。 登り始めてからちょうど30分で、時間は11時25分でした。

 お参りを済ませた後、石仏を見ながら、岩子島の昔のことを考えました。
 ・人々の暮らしぶりはどんなだったのだろうか?
 ・岩子島の人たちは、どんな想いで、このような山の上に石を運び、
  札所を造られ、お参りしたのだろうか?
 ・弘法さんへの信仰心と、ご先祖や身近で亡くなられた人への供養や、
  家族やみなさんの健康と安全、そして幸せな一生を願ってのことだったのだろうか?
 ・それ以外にも私たちには想いが至らない目的のようなものがあったのだろうか?
 ・いつ頃、どんな方が取りまとめ、どんな人たちが協力し合って作ったのだろうか?
 ・石垣も含め、これらの石はどこから運んで来たのだろうか? 尾道? …

 次々と、思い浮かべる私でした。

 今回、私が初めて札所巡りをする気になったのは、

 ・好きになった向島や岩子島をのんびり歩き、いろいろ見聞きしたいとの気持ち。
 ・昨年、一昨年と、予期せぬ入院を経験したことにより、健康への感謝と自分の見つめ直し。
 ・東北の大震災で亡くなられたり、今なおご苦労されている方々への祈り。
 ・お世話になっている方々への感謝と、それらの方々の健康の祈り。

 でしたが、ある意味、年齢も、そうさせているのかも知れません。

 昼食には早かったのですが、潮風さんに用意していただいたパンと、お接待でいただいたジュースとミカンで、のんびり景色を見ながら、一人だけれども幸せなランチにしました。
 その後、高見山が見えるところがあったので、初めて潮風さんに連れて行っていただいたときの思い出に創った篠笛曲を吹いたりして、静かな時間を過ごしました。

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↑ 東の高見山方面です。 一つの島に見えますが、中央に御幸瀬戸に掛かる赤い向島大橋が見えていますから、手前が岩子島で、奥が向島であることが分ります。

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↑ 布刈瀬戸を間に、奥の左手から向島、因島大橋、因島が見えました。左手前が岩子島になります。
向島の山では、高見山や双小山が見えました。

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↑ 北西側の眼下には厳島神社の大鳥居や海の中の常夜灯が見えました。

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↑ 北東側には郷条の集落と東岩岳(標高118m)が見えました。

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↑ 郷条の集落をズームアップして見たところです。

1時間ほど山頂で過ごした後、コンパスをビニールハウスのあった東に合わせ山を降りました。
もしかしたらと淡い期待を持って下ったのですが、三十五番と三十六番の札所を見ることはありませんでした。 探しながら下ったわけではないのですから、当然と言えば当然の結果です。
ここも、いつの日か、回っておきたいと思います。



                                                   つづく