岩子島を歩く  その③

お接待の日 (4月4日) つづき

 今回、札所を巡るために私が持ち歩いた地図は、次の二つです。

その① 「岩子島四国八十八ヶ所霊場めぐり」
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↑ 潮風さんから向島のものと共にいただいた岩子島の地図です。
 この地図は、藤田久登様(元歩こう会会長)が中心となって現地確認し、歌島郷土研究会が編纂した「向島八十八ヶ所巡礼」の手書きのものを、中国新聞向島販売所の勝島幸儀様が編集された労作です。
 回りまわって、今回、私にとっては貴重な道しるべになりました。
関係のみなさま方のこれまでのご努力に対し、心より感謝申し上げます。

その② 「国土地理院地形図抜粋:岩子島」(1/12500)
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 次の三十一番札所は、三十番札所からは尾根続きに北西へ100mほどの辺りにあるようですが、行く手は鬱蒼とした竹薮になっていました。
ここは札所を設置された方の心理を考え、尾根上にあると推定し、道の消えた竹薮の中を、地図とコンパスを使って、どうにか辿り着くことが出来ました。

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↑ 竹薮の向こうに札所の石室があるのですが、判りますか? (中央やや右側です。)
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↑ 竹薮の中にあった第三十一番札所「土佐・竹林寺」です。 
長い間、お参りされた気配はなく、仏様や先人のお気持ちを考えると、寂しく感じたのでした。
 竹林寺と言う名の札所ですから、ときどき竹の間引きをして、もう少し明るくしてあげたら、海も見え、味わい深くなり、仏様も喜び、人も来やすくなるのではと思いました。

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↑ 臨済宗の阿弥陀寺さんです。たまたま私の家と同じ宗派(ただし妙心寺派)でした。
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↑ 臨済宗の阿弥陀寺さんの鐘楼です。
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 この近くに三十二番札所「土佐・禅師峯寺」があるはずなのですが、一時間ほど探したものの発見できず、ならばと、お寺の方も含め、何人かの方にお聞きしても、知ってられる方もなく、結局見つかりませんでした。

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↑ 札所かな?と思ったところです。


 西側から山を見たら手掛かりが見つかるかも…と、阿弥陀寺さんのある山を西へ下ってみましたが手掛かりはありませんでしたが、四辻の所に札所がありました。
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↑ 第七十五番札所「讃岐・善通寺」です。
ただ、4時近かったこともあり、鍵がかかっていました。

と言うことで、この日はここでお終いにし、
朝、送っていただいたところまで戻り、迎えに来ていただいた潮風さんの愛車で、向島のB&B潮風さんへ戻りました。

 潮風さん、お忙しい中を、送迎など、ありがとうございました。


 そうそう、七十五番札所と火の見櫓のある島の中央部から、東のJA集出荷場までの間で次のような真新しい看板の掛かった家がありました。

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↑ 「めだかの学校」と読み取れました。
  「ん!」 メダカの保護に取り組んでられる人がいるようですが、島では自然の状態でいるような所は気づかなかったけれど、どんな取り組みなのだろうか?
近づいて行くと、ふれあいサロンとあります。メダカではないようです。

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↑ こちらは、最初に岩子島を訪ねたとき、パンと飲み物を買ったJAの近くにあった「すずめのお宿」でした。 
今日はお休みですとの札と、入口にあった「すずめ通信」などの内容から、お年寄りの方々のふれあい施設のようでした。
 後で判ったことですが、「めだかの学校」も、同様の施設のようです。
過疎化と高齢化が進む中で、島の人たちは、助け合いながら、一生懸命生きているのが解かりました。




                                             二日目につづく








岩子島を歩く  その②

お接待の日 (4月4日) つづき

 廃道となった谷間の踏み跡を下り、毘沙郷の集落へ出た私は、十六番札所を後回しにして、十九番札所を目指しました。
車と違い、歩く旅は時間が掛かる分、眼にするものや出会いが多く、無理さえしなければ、とても楽しいものです。
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↑ 水神様が祭られた井戸がありました。 年間降雨量の少ない瀬戸内の人々にとって、水は貴重ですから大切にされて来たのでしょう。
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↑ 海辺に多い焼き板壁の民家です。出窓も味わいがあります。
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↑ 石垣、焼き板、土壁の家。建物の間は狭いですが、生活道路になっているようです。
小さな島だけに、境界を主張することなく、お互いが理解し合い、協力し、助け合い、工夫して生活して来たようです。
お接待をされる島の人々の、温和な物腰と言葉遣いから、そう感じる私でした。
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↑ 飾り瓦も凝っています。 大黒さんでしょうか?
別の隅には恵比寿さんなどもありそうです。
人々の願いが込められた民家です。
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↑ こちらは、波頭のようです。
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↑ ツタをあしらった家紋でしょうか? 左官職人の腕と心意気が光ります。

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↑ ミカン小屋だったのでしょうか? 時が経ち、少し歪んではいるものの風雨に耐えた土壁に惹かれます。
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↑ この感じも素朴で好きです。

 島の家々は、どれもが味わい深く、のんびり、ゆっくり歩きました。


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↑ 「お摂待」と染められた幟が立っています。
どうやら十九番札所のようです。
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↑ 第十九番札所「阿波・立江寺」でした。 
先着の少年がアンパンをいただき、「今から向島へ行きます。」と、にっこりして元気良く走っていきました。
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↑ 第十九番札所
 「歩いてると腹が減るから遠慮なさらず持っていきなさい!」とのことで、一人1つのところを、私も2ついただきました。
 今日の札所巡りのため、潮風さんからお借りしたナップザックの中に、お茶とビスケットを入れて来たのですが、各札所でいただいた茶菓子などで、少年同様、ザックも満杯となり、
「岩子島のお接待」が人気のある理由の一つが理解出来た私でした。


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↑ 第十八番札所「阿波・恩山寺」です。 お接待は終わったらしく、人の姿はありませんでした。

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↑ 岩子島には、立派な石垣の家が多いのですが、車のない時代、石はどこからどうして運んで来たのでしょうか? 興味は尽きません。
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↑ 第十七番札所「阿波・井土寺」です。 3名の男の方が後片付けをしていました。 
  「どこからお出でなさった?」
  「愛知県からです。」
  「遠いところからご苦労さんだったのう…、申し訳ないが茶菓子がなくなってしまったよ。」
  「いえいえ、よその札所で十分いただきましたから結構です。…」
お接待の方によると、今は車で回る人が多いので、山の上と比べ、車道沿いの札所は、茶菓子が早くなくなるとのことでした。
そして、片づけが済んだら、昨日の強風で壊れたハウスの修理に行くとのこと。
トマトは植え付けて間もなかったのでダメだろう…とも言ってられました。
そうした中でのお接待だったのです。本当にご苦労様でしたと心の中でつぶやく私でした。
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↑ 石仏には井土寺と彫られていましたが、お接待の方のお話では、四国の十七番札所のある辺りには、弘法大師が水不足に悩む村人のために井戸を掘り、以後、村の名を「井戸村」とし、寺の名前も「妙照寺」から「井戸寺」にしたとの言い伝えがあるので、こちらは間違いだったと思うとのことでしたが、戸を土にした、それなりの理由があったのかも知れません。

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↑ 第十六番札所「阿波・観音寺」です。 ここもお接待は終わったようで、きれいに片付けられていて、誰もいませんでした。

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↑ 仏さんのお顔などに墨が入っていました。 年に一度のお接待日に合わせ、お化粧をしてあげたと思われます。

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↑ 第二十二番札所「阿波・平等寺」です。 集落から離れたミカン畑の上り口にありました。

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↑ 第二十番札所「阿波・鶴林寺」です。


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↑ 第二十三番札所「阿波・薬王寺」です。

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↑ 第二十一番札所「阿波・太龍寺」です。今はお参りする人もないらしく、道が消えた山の上にありました。

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↑ 二十一番札所からは御幸瀬戸や、岩子島と向島を結ぶ赤い向島大橋、そして、向島のシンボルであり、しまなみ海道一とも言えるビュースポットの高見山(標高283m)が見えました。
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↑ 少し眼を右にやれば因島大橋も見えました。
手前に植えられているのがワケギです。この辺りもかつてはミカン畑だったと思われます。
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↑ 二十一番札所からの帰り道の景色です。 
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↑ ミカン畑の中にあった四等三角点「岩子島」(標高38.3m)です。12時半を過ぎていましたので、十九番札所でいただいたアンパンとお茶でランチにし、景色楽しみながら篠笛を吹いて過ごしました。
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↑ 三角点から見た因島方面です。


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↑ 第二十四番札所「土佐・最御崎寺」です。その名に合わせたのでしょう、岩子島の札所の中では最も南に位置し、札所ももここから土佐〇〇札所と変わっていました。
ただ、ミカン栽培を止めてからは道も消え、尾根上にあることも年配者には大変で、お参りに来られる方はほとんどいないようです。
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↑ 二十四番札所から見た布刈瀬戸と向島の津部田の集落です。背後にあるのは高見山です。
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↑ 二十四番札所から見た三原、三木島、細島方面です。
二十四番札所は素晴らしい眺望だけに、利用されないのは、もったいないと思いました。
お金をかけ、やり過ぎで趣のない遊歩道を整備するのではなく、年に2回ほどイバラなどを刈り込み、ハイキングを兼ねた島遍路として歩く方が増えたら、自然と道もつき、魅力あるコースになると思うのですが…。
岩子島だけでは高齢化と人手が足りませんので、広島周辺の歩く方や、山の会の人たちの奮起を願います。

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↑ 第二十五番札所「土佐・津照寺」です。畑の隅にありました。

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↑ 第二十六番札所「土佐・金剛頂寺」です。 名前から山の上を期待したのですが、平地にありました。

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↑ 第二十八番札所「土佐・大日寺」です。 こちらは山の途中の畑の隅にありました。
「大日寺」と言う名前の札所は三つ目です。


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↑ この道を登り切ったところから左手の尾根に取り付き、二十七番札所を目指しました。
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↑ 第二十七番札所「土佐・神峯寺」です。 山を登り、イバラをかき分けながら、どうにか辿り着くことが出来ました。


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↑ 第二十九番札所「土佐・国分寺」です。


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↑ 第三十番札所「土佐・善楽寺」です。畑を上がった竹薮の隣にありましたので、お参りに来られる方はないかなと思って行ってみたら…
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↑ 真新しいスイセンの花がありました。


                                                    つづく

 〔補足〕
   札所を巡る順が番号順になっていないのは、
お参りの流れについて行ったり、道が消えてい行けなかったり、近回りをしたためで、
文中の記載は、実際に回った順にしてあります。





岩子島を歩く  その①

プロローグ
岩子島 (いわしじま)
岩子島は、瀬戸内海に浮かぶ周囲8Kmほどの小さな島です。
私が定宿にしているB&B潮風さんのある向島の西に寄り添うようにしている
ワケギとトマト栽培が盛んな農業の島で、行政上は尾道市に含まれます。
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      地図上で左クリックし、画像を拡大してご覧ください。(以下同じ)

お接待
 瀬戸内のほとんどの島には、島四国とか、新四国、島遍路、写し霊場などと言われる四国の八十八ヶ所に倣った小さな札所があり、毎年、春の決まった日に、「お接待」と言って、地域の方々が、札所(お大師堂)を巡る人たちを、菓子などで、おもてなしをする慣わしがあることを、2009年の春、向島のため池巡りをしているときに、大池奥池で出会った吉原さんから教えていただき、いつの日か歩いてみたいと思い、潮風さんにもお話していました。

 3月28日、潮風さんから、向島のお接待日が4月4日と教えていただいた私は急ぎ旅支度をし、3日夜、ときならぬ春の嵐の中をB&B潮風さんに入ったのでした。
 久々の再会に楽しい時間が過ぎていく中で、今回の予定などの話をしているときです。
「明日は、岩子島もお接待があるので、岩子島が良いかも…」とのアドバイスを潮風さんからいただきました。
 向島については2年前から準備をしていたので、札所のおおよその位置は掴んでいましたが、岩子島については掴んでなかったので、どうしたものかと思っていたら、「これを使ってください」と、札所の位置が入った向島と岩子島の地図を下さったのです。
国土地理院の地形図ほどの精度を期待するのは無理としても、判らないときは地元の方に確認しながら歩けば回れそうなのと、コース距離が短いため、滞在中に全札所を回ることが出来そうと判断し、岩子島を回ることにしたのでしたが…。

(ご参考)
   因島のお接待は4月11日です。 島によって日にちが設定されているようです。


お接待の日 (4月4日) 

 岩子島へは、潮風さんが愛車で送ってくださいました。(^^);
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↑ 岩子島の民家と東岩岳です。
尾根筋にも札所があります。手前の畑にあるのが生産量全国一とのワケギです。 (車を降りたJAの集荷場付近から見上げたところです。)

 とりあえず一番札所を目指し歩き始めたのですが、一、二番札所とも、高齢化などで、お接待をやってないとのこでしたので、お遍路をするみなさんの流れに合わせ、スタート地点として三番札所を目指しました。


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↑ 幟の立っているところが札所のようで、かなりの賑わいです。
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↑ 第三番札所の「阿波・金泉寺」でした。 素朴な石仏の前には、お花や食物などがお供えしてありました。
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↑ お参りを済ませた方が、お接待を受けるところです。
一人分ずつ漆器の皿に盛られた茶菓子を参拝者が選んでいただく方式で、
札所によっても異なるようですが、今年も1000人から1600人分ほど用意しているとのことでした。
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↑ お接待を初めて体験した三番札所の風景です。

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↑ 三番札所から路地を一分ほど歩くと、第四番札所「阿波・大日寺」でした。
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↑ 第四番札所にも素朴な石仏がありました。
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↑ 四番札所のお接待風景です。

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↑ 畑の隅にあった第五番札所「阿波・地蔵寺」です。 その名の通り石のお地蔵さんがありました。

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↑ 六番札所へ向かう、集落の中の小道です。車の無い時代は、これだけの幅があれば用が足りたようです。
 写真の民家は、白壁に漆喰などで化粧を施し、焼き板壁に本瓦葺きと、味わいがあります。 岩子島には、築年数を重ねた魅力的な民家が多く、そのような家々をのんびり観て歩くのも良いように思います。
ただ、痛んだときに、改築したり、新しく造り換えるには、建築法や消防法の規制が立ちふさがり、奥まった所に位置する家は家も立てられないと思いますので、行政として、何らかの救済法を整備してあげる必要性を感じました。
 道が狭く車が入れない家が多いことは、例え仕事があったとしても、若い方を島に留まらせるには難しいように思いました。
 朽ちかけた空き家などの整理による共有スペースの確保と活用が必要に思いました。
 事実、お接待の賑わいに反し、かつて1500人ほどが住んでいたとの島の人口が現在は620名ほどで、小学生は6人しかいないとのお話には、衝撃を受けました。
 気候も温暖で、景色も良く、車さえあれば尾道の街までは30分もあれば行けると思いますので、二三世帯が同居し、兼業も可能な環境だけに残念に思います。
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↑ お接待の方々です。どの札所もお接待する側に若い方は少ないのですが、年に一度、こうして、例えよその島からでも、大勢の子どもたちが来て賑わってくれるのがうれしいとのことでした。
これで、お孫さんを連れて一緒に札所を歩けたら、島に住む人々にとって、は最高の幸せなんだろうな…と思いました。
 「昔は、おじいさんやおばあさんに連れられて、島中歩いたよ…」との懐かしく話してくださった方の表情に、全ての想いが入っていたように感じました。
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↑ 第六番札所「阿波・安楽寺」です。

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↑ 次の札所へ向かう人々です。
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↑ 納屋として使っているのでしょうか?土壁の味わいのある大きな家と石垣のある民家との間を進みました。
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↑ 井戸の向こうに札所が見えて来ました。
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↑ 第八番札所「阿波・熊谷寺」でした。人の流れに委ねていたので、先に八番札所へ来たのでした。

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↑ 再び車道へ戻り、坂を行くと、次の札所が見えてきました。 
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↑ 第七番札所「阿波・十楽寺」です。 お顔に墨入れされた、子どものような表情のかわいい石仏でした。
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↑ 人々の気持ちであるおコメとお賽銭がたくさんありました。
私は、今回の島遍路を実行するために、硬貨を貯めて持って行きましたので、お賽銭を切らすことなく札所を回ることが出来ました。

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↑ 島に二つあるトンネルの一つ岩子島隧道が見えてきました。次の札所へは、右手の坂を上がります。
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↑ 坂を上り、ゆるく右にカーブした九番札所 (右側の黒い屋根と、せり出した尾根との間に少しだけ見える小さな青い屋根が札所です。)のある辺りです。(次の札所へ行く途中で撮りました。)

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↑ 第九番札所「阿波・法輪寺」です。
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↑ 九番札所の石仏とお供えです。

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↑ 十番札所へは、細く急な山道を行きます。
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↑ 第十番札所「阿波・切幡寺」です。女性の方々が穏やかな表情でお接待をされていました。
岩子島の方々にとって、私は、見かけない顔ですので、「どこから来られた?」とか、いろいろと質問攻めに遭いましたが、島の方々は、よそ者である私にも、とてもフレンドリーで、「よう、お出でなさった」と、感謝されました。
こちらこそ、ありがとうございました。
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↑ 十番札所の帰り道で、西の方角に見えた殿山(標高117m)です。
山頂や尾根筋には、いくつかの札所がありますが、今は山へ上がりお参りする人はいないとのことでした。

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↑ 第十一番札所「阿波・藤井寺」です。阿弥陀寺近くの道の交点にありました。

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↑ 第十二番札所「阿波・焼山寺」です。 きれいにされた祠の中には、千手観音のような石仏と、お供えがあり、お線香が上げられていました。

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↑ 第十五番札所「阿波・国分寺」のお堂内です。きれいに飾られていました。
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↑ 十五番札所は尾根上の高台にあり、日当たりと景色が良かったです。
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↑ 急で狭い山道を、子どもたちは次々と自転車を引いて登って来ます。
  「頑張るね。…」と声を掛けたら、
  「早く周って向島にも行かないとならないからと…」との返事。
春休みの子どもたちにとって、お菓子がたくさんいただける今日は、うれしいうれしいお接待の日のようです。
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↑ 十五番札所付近から北東方向を見たところです。
尾道水道と御幸水道が合わさる海や、尾道の街、向島などが見えました。
左手、円錐状の山は、なつかしの東岩岳(標高118m)です。

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↑ 十四番札所「阿波・常楽寺」です。農家の敷地内にありました。
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↑ ご主人が軽トラックの荷台にお接待のお菓子などを並べて、お参りに来られる人々にご苦労様と言いながら渡してられました。
傍らには、ご主人同様、温和な犬が尻尾を振っていました。
  「見たことのない方だが、どちらからお出でで?」
  「愛知から来ました…」
  「それは、遠くからご苦労さん。」と、数人分のお菓子を手渡しされたので、
  「一つあれば結構ですから、後で来る子どもさんたちに上げてください…」と辞退すると、たくさんあるからとのことで、そのまま、いただきました。
なお、十四番札所は、ご先祖さんの代から、個人でお守りしているとのことでした。
 作業場と庭先を通らせていただき、次に向かったのは、十四番札所をお守りされている方の屋敷入口横にあった十三番札所です。

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↑ 第十三番札所「阿波・大日寺」です。
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↑ お堂の中では、3人の方がお接待をされていました。
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↑ お堂から振り返った所です。中々急な石段です。
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↑ お堂の東側には、向島の大影山(標高167m 通称:土井山)が見えました。
かつて早朝散歩で二度登っていますので、これまたなつかしの山です。
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↑ お堂の南には、本因坊秀策の生まれた因島が見えました。 

(ご参考)
 本因坊秀策は、囲碁をやるものにとって、かくありたいと願う憧れの人と言えます。
本因坊秀策は、後に秀策流と言われる布石を残し、現代の棋士も、棋譜を並べて研究していますが、ただ強いだけではなく、考え方、手の広さに棋士として素晴らしさがあります。
そのうえ、江戸にコレラが流行ったとき、自分の身を省みることなく弟子たちを看病し、結局自らも感染し、若くして逝った人柄なども含め、現代にあっても、棋士としての人気は衰えを知りません。


 人の流れのままに、十、十一、十二、十五、十四、十三と、高台にある札所をお参りして周った私は、一旦、麓にある十六番以降の札所へ向かうことにしました。
 家から持って行った1/12500地形図を見れば、谷間を下りれば十六番札所はすぐに思えたので、十四番札所へ戻り、お接待をされていたご主人にコースについて確認すると、今は歩く人がいないので手入れはされていないが、踏み跡はあるとのことでしたので、地形図を頼りに駆け下り、数分で十六番札所に行くことが出来ました。
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↑ 十四番から十六番札所への近道です。
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↑ 土壁の家と、民家の庭先を通らせていただくと、郵便局から南へ向かう車道に出ました。



                                               つづく


竹原  つづき

4月3日

■本町界隈 その②
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↑ 町を歩いていたら「修景広場」と言う新しい空間がありました。町並みを歩く人の休憩所のようです。
竹原の地名に合わせたのでしょう。笹や竹を生かした空間でした。
3.11災害の被災地を励ます言葉が刻まれていて、ふるさとが被災した私にとって、うれしいことでした。
私は、札所を利用させていただいたのですが、雨の日の休憩所もあると旅人にとっては、更にうれしい気がしました。
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↑ 珍しい六角形の井戸です。尾道もそうでしたが、島嶼部も含め、年間降水量の少ない瀬戸内の各地には、水を大切にする文化が根付いているように思います。
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↑ 伝統を感じる透かし彫りも随所に見られました。
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↑ 竹を生かした堀の安全カバーです。金属のフェンスと違い、町並みとも調和が取れていました。
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↑ 側溝の蓋も、景観と濡れても滑らないように工夫がされていました。
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↑ 白壁、土壁、焼き板壁に、意匠を凝らした窓など、味わいのある民家が多くありました。
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 台風のような風雨の中での町並み歩きでしたが、感じる心地よさは何から来るのか不思議でした。
職人さんたちが、その技を発揮し丁寧に造っていること。そして、それらの建物などを大切にして来た人々たちの想いが、私たち旅人の心に響くのかも知れません。
竹原は、同じ広島県の尾道や鞆、上下、府中同様、いい町でした。
私が定宿にしているB&B潮風さんの話しによれば、庄原や三次など、まだまだたくさんの心地よい町があるようですので、健康なうちに広島通いをするつもりです。
 竹原ですが、ただ、気になることもありました。
それは、全国各地に見られるシャッターが閉められた店が多いことでした。
地方の文化を絶やさないためにがんばってられる人々の幸いを願わずにはいられません。
ありがとう、竹原。
いつの日か、再訪したい町でした。

〔追記〕
 ①昼食
 駅近くの食事処「ふ志゙や」さんで「カキどんぶり」をいただいたのですが、これが抜群に美味しかったです。(850円ぐらいでした。)
 この季節、竹原を訪れた方には、お勧めです。★★★★★に近いかな。
 ②強風で電車がストップ
 2時間近くたっても動く気配がなく、バスなどを乗り継いで、何とか明るいうちに潮風さんへ入ることが出来ました。
潮風さんは心配され、携帯へ電話を下さったのですが、気づかぬ僕でした。すみません。そして、ありがとうございます。


竹原(広島)

■2012年4月.3日
 2年ぶりの広島なのですが、雨男の私は、よりによって温帯性低気圧が968hPaと大型台風なみに発達する予報が出ている中での旅立となってしまいました。

 先回来たとき、向島にあるB&B潮風さんに、竹原はいい所とお聞きしていたので、安芸の小京都と言われる竹原を訪ねました。
B&B潮風さんは、西日本へ行くときの定宿にしている民宿で、私にとっては、ふるさとのような心が癒される宿です。
 
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↑ 三原駅から呉線に乗りました。
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↑ 海岸を走る呉線は、一度は乗ってみたかった路線ですが、あいにくの横殴りの雨の中でした。
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↑ 電車は、女性運転士のワンマンカーでした。(レンズを向けては失礼と、運転士さんの写真は撮っていません。)
平日で天候が悪いこともあってか、車内は空いていました。
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↑ 雨雲の中の安芸長浜です。

 幸い、竹原駅に着いたときは思ったよりは風雨が弱くなっていましたので、駅前の観光案内所で頂いた地図を頼りに、気をつけて町へ出てみました。

■港町界隈
 始に港町の路地を歩いてみました。
景観地区の指定はないものの、所々に趣のある民家があります。
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↑ 個性的な格子のある窓が見られました。
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↑ 浄土宗の長建寺本堂です。
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↑ 長建寺の鐘楼です。
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↑ 長建寺にあった二層造りの福衆殿です。
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↑ 水が出たときに備えているのでしょうか?高座に安置された赤ん坊を抱いたお地蔵さんがありました。
八鹿地蔵大菩薩と読み取れたのですが、どんな謂れなのでしょうか?
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↑ 風雨が強くなったとき、しばらく休まさせて頂いた、新四国八十八ヶ所札所の大窪寺です。石で出来た薬師如来が祭ってありました。

■本町界隈(重要伝統的建造物群保存地区) その①
 江戸時代に製塩や酒造業で栄えた町とのことで、趣のある建物が見られました。
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↓ 旧笠井邸が無料開放していたので、中を見させていただきました。
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↑ 竹原が舞台だったと言うアニメ「たまゆら」のセル画が展示してありました。2月11日~3月12日に開かれた「たけはら町並み雛めぐり」のときは、大勢の若者たちで賑わったとのことでしたが、今回は悪天候であったため、観光らしい人は数人見かけただけで、私自身にとっては、静かに歩くことが出来、良かったです。ただ、風が強く、傘はさせませんでした。
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                                 つづく