岩子島を歩く  その③

お接待の日 (4月4日) つづき

 今回、札所を巡るために私が持ち歩いた地図は、次の二つです。

その① 「岩子島四国八十八ヶ所霊場めぐり」
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↑ 潮風さんから向島のものと共にいただいた岩子島の地図です。
 この地図は、藤田久登様(元歩こう会会長)が中心となって現地確認し、歌島郷土研究会が編纂した「向島八十八ヶ所巡礼」の手書きのものを、中国新聞向島販売所の勝島幸儀様が編集された労作です。
 回りまわって、今回、私にとっては貴重な道しるべになりました。
関係のみなさま方のこれまでのご努力に対し、心より感謝申し上げます。

その② 「国土地理院地形図抜粋:岩子島」(1/12500)
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 次の三十一番札所は、三十番札所からは尾根続きに北西へ100mほどの辺りにあるようですが、行く手は鬱蒼とした竹薮になっていました。
ここは札所を設置された方の心理を考え、尾根上にあると推定し、道の消えた竹薮の中を、地図とコンパスを使って、どうにか辿り着くことが出来ました。

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↑ 竹薮の向こうに札所の石室があるのですが、判りますか? (中央やや右側です。)
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↑ 竹薮の中にあった第三十一番札所「土佐・竹林寺」です。 
長い間、お参りされた気配はなく、仏様や先人のお気持ちを考えると、寂しく感じたのでした。
 竹林寺と言う名の札所ですから、ときどき竹の間引きをして、もう少し明るくしてあげたら、海も見え、味わい深くなり、仏様も喜び、人も来やすくなるのではと思いました。

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↑ 臨済宗の阿弥陀寺さんです。たまたま私の家と同じ宗派(ただし妙心寺派)でした。
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↑ 臨済宗の阿弥陀寺さんの鐘楼です。
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 この近くに三十二番札所「土佐・禅師峯寺」があるはずなのですが、一時間ほど探したものの発見できず、ならばと、お寺の方も含め、何人かの方にお聞きしても、知ってられる方もなく、結局見つかりませんでした。

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↑ 札所かな?と思ったところです。


 西側から山を見たら手掛かりが見つかるかも…と、阿弥陀寺さんのある山を西へ下ってみましたが手掛かりはありませんでしたが、四辻の所に札所がありました。
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↑ 第七十五番札所「讃岐・善通寺」です。
ただ、4時近かったこともあり、鍵がかかっていました。

と言うことで、この日はここでお終いにし、
朝、送っていただいたところまで戻り、迎えに来ていただいた潮風さんの愛車で、向島のB&B潮風さんへ戻りました。

 潮風さん、お忙しい中を、送迎など、ありがとうございました。


 そうそう、七十五番札所と火の見櫓のある島の中央部から、東のJA集出荷場までの間で次のような真新しい看板の掛かった家がありました。

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↑ 「めだかの学校」と読み取れました。
  「ん!」 メダカの保護に取り組んでられる人がいるようですが、島では自然の状態でいるような所は気づかなかったけれど、どんな取り組みなのだろうか?
近づいて行くと、ふれあいサロンとあります。メダカではないようです。

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↑ こちらは、最初に岩子島を訪ねたとき、パンと飲み物を買ったJAの近くにあった「すずめのお宿」でした。 
今日はお休みですとの札と、入口にあった「すずめ通信」などの内容から、お年寄りの方々のふれあい施設のようでした。
 後で判ったことですが、「めだかの学校」も、同様の施設のようです。
過疎化と高齢化が進む中で、島の人たちは、助け合いながら、一生懸命生きているのが解かりました。




                                             二日目につづく








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