岩子島を歩く  その②

お接待の日 (4月4日) つづき

 廃道となった谷間の踏み跡を下り、毘沙郷の集落へ出た私は、十六番札所を後回しにして、十九番札所を目指しました。
車と違い、歩く旅は時間が掛かる分、眼にするものや出会いが多く、無理さえしなければ、とても楽しいものです。
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↑ 水神様が祭られた井戸がありました。 年間降雨量の少ない瀬戸内の人々にとって、水は貴重ですから大切にされて来たのでしょう。
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↑ 海辺に多い焼き板壁の民家です。出窓も味わいがあります。
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↑ 石垣、焼き板、土壁の家。建物の間は狭いですが、生活道路になっているようです。
小さな島だけに、境界を主張することなく、お互いが理解し合い、協力し、助け合い、工夫して生活して来たようです。
お接待をされる島の人々の、温和な物腰と言葉遣いから、そう感じる私でした。
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↑ 飾り瓦も凝っています。 大黒さんでしょうか?
別の隅には恵比寿さんなどもありそうです。
人々の願いが込められた民家です。
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↑ こちらは、波頭のようです。
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↑ ツタをあしらった家紋でしょうか? 左官職人の腕と心意気が光ります。

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↑ ミカン小屋だったのでしょうか? 時が経ち、少し歪んではいるものの風雨に耐えた土壁に惹かれます。
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↑ この感じも素朴で好きです。

 島の家々は、どれもが味わい深く、のんびり、ゆっくり歩きました。


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↑ 「お摂待」と染められた幟が立っています。
どうやら十九番札所のようです。
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↑ 第十九番札所「阿波・立江寺」でした。 
先着の少年がアンパンをいただき、「今から向島へ行きます。」と、にっこりして元気良く走っていきました。
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↑ 第十九番札所
 「歩いてると腹が減るから遠慮なさらず持っていきなさい!」とのことで、一人1つのところを、私も2ついただきました。
 今日の札所巡りのため、潮風さんからお借りしたナップザックの中に、お茶とビスケットを入れて来たのですが、各札所でいただいた茶菓子などで、少年同様、ザックも満杯となり、
「岩子島のお接待」が人気のある理由の一つが理解出来た私でした。


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↑ 第十八番札所「阿波・恩山寺」です。 お接待は終わったらしく、人の姿はありませんでした。

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↑ 岩子島には、立派な石垣の家が多いのですが、車のない時代、石はどこからどうして運んで来たのでしょうか? 興味は尽きません。
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↑ 第十七番札所「阿波・井土寺」です。 3名の男の方が後片付けをしていました。 
  「どこからお出でなさった?」
  「愛知県からです。」
  「遠いところからご苦労さんだったのう…、申し訳ないが茶菓子がなくなってしまったよ。」
  「いえいえ、よその札所で十分いただきましたから結構です。…」
お接待の方によると、今は車で回る人が多いので、山の上と比べ、車道沿いの札所は、茶菓子が早くなくなるとのことでした。
そして、片づけが済んだら、昨日の強風で壊れたハウスの修理に行くとのこと。
トマトは植え付けて間もなかったのでダメだろう…とも言ってられました。
そうした中でのお接待だったのです。本当にご苦労様でしたと心の中でつぶやく私でした。
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↑ 石仏には井土寺と彫られていましたが、お接待の方のお話では、四国の十七番札所のある辺りには、弘法大師が水不足に悩む村人のために井戸を掘り、以後、村の名を「井戸村」とし、寺の名前も「妙照寺」から「井戸寺」にしたとの言い伝えがあるので、こちらは間違いだったと思うとのことでしたが、戸を土にした、それなりの理由があったのかも知れません。

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↑ 第十六番札所「阿波・観音寺」です。 ここもお接待は終わったようで、きれいに片付けられていて、誰もいませんでした。

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↑ 仏さんのお顔などに墨が入っていました。 年に一度のお接待日に合わせ、お化粧をしてあげたと思われます。

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↑ 第二十二番札所「阿波・平等寺」です。 集落から離れたミカン畑の上り口にありました。

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↑ 第二十番札所「阿波・鶴林寺」です。


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↑ 第二十三番札所「阿波・薬王寺」です。

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↑ 第二十一番札所「阿波・太龍寺」です。今はお参りする人もないらしく、道が消えた山の上にありました。

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↑ 二十一番札所からは御幸瀬戸や、岩子島と向島を結ぶ赤い向島大橋、そして、向島のシンボルであり、しまなみ海道一とも言えるビュースポットの高見山(標高283m)が見えました。
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↑ 少し眼を右にやれば因島大橋も見えました。
手前に植えられているのがワケギです。この辺りもかつてはミカン畑だったと思われます。
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↑ 二十一番札所からの帰り道の景色です。 
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↑ ミカン畑の中にあった四等三角点「岩子島」(標高38.3m)です。12時半を過ぎていましたので、十九番札所でいただいたアンパンとお茶でランチにし、景色楽しみながら篠笛を吹いて過ごしました。
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↑ 三角点から見た因島方面です。


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↑ 第二十四番札所「土佐・最御崎寺」です。その名に合わせたのでしょう、岩子島の札所の中では最も南に位置し、札所ももここから土佐〇〇札所と変わっていました。
ただ、ミカン栽培を止めてからは道も消え、尾根上にあることも年配者には大変で、お参りに来られる方はほとんどいないようです。
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↑ 二十四番札所から見た布刈瀬戸と向島の津部田の集落です。背後にあるのは高見山です。
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↑ 二十四番札所から見た三原、三木島、細島方面です。
二十四番札所は素晴らしい眺望だけに、利用されないのは、もったいないと思いました。
お金をかけ、やり過ぎで趣のない遊歩道を整備するのではなく、年に2回ほどイバラなどを刈り込み、ハイキングを兼ねた島遍路として歩く方が増えたら、自然と道もつき、魅力あるコースになると思うのですが…。
岩子島だけでは高齢化と人手が足りませんので、広島周辺の歩く方や、山の会の人たちの奮起を願います。

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↑ 第二十五番札所「土佐・津照寺」です。畑の隅にありました。

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↑ 第二十六番札所「土佐・金剛頂寺」です。 名前から山の上を期待したのですが、平地にありました。

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↑ 第二十八番札所「土佐・大日寺」です。 こちらは山の途中の畑の隅にありました。
「大日寺」と言う名前の札所は三つ目です。


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↑ この道を登り切ったところから左手の尾根に取り付き、二十七番札所を目指しました。
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↑ 第二十七番札所「土佐・神峯寺」です。 山を登り、イバラをかき分けながら、どうにか辿り着くことが出来ました。


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↑ 第二十九番札所「土佐・国分寺」です。


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↑ 第三十番札所「土佐・善楽寺」です。畑を上がった竹薮の隣にありましたので、お参りに来られる方はないかなと思って行ってみたら…
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↑ 真新しいスイセンの花がありました。


                                                    つづく

 〔補足〕
   札所を巡る順が番号順になっていないのは、
お参りの流れについて行ったり、道が消えてい行けなかったり、近回りをしたためで、
文中の記載は、実際に回った順にしてあります。





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