岩子島を歩く  その①

プロローグ
岩子島 (いわしじま)
岩子島は、瀬戸内海に浮かぶ周囲8Kmほどの小さな島です。
私が定宿にしているB&B潮風さんのある向島の西に寄り添うようにしている
ワケギとトマト栽培が盛んな農業の島で、行政上は尾道市に含まれます。
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      地図上で左クリックし、画像を拡大してご覧ください。(以下同じ)

お接待
 瀬戸内のほとんどの島には、島四国とか、新四国、島遍路、写し霊場などと言われる四国の八十八ヶ所に倣った小さな札所があり、毎年、春の決まった日に、「お接待」と言って、地域の方々が、札所(お大師堂)を巡る人たちを、菓子などで、おもてなしをする慣わしがあることを、2009年の春、向島のため池巡りをしているときに、大池奥池で出会った吉原さんから教えていただき、いつの日か歩いてみたいと思い、潮風さんにもお話していました。

 3月28日、潮風さんから、向島のお接待日が4月4日と教えていただいた私は急ぎ旅支度をし、3日夜、ときならぬ春の嵐の中をB&B潮風さんに入ったのでした。
 久々の再会に楽しい時間が過ぎていく中で、今回の予定などの話をしているときです。
「明日は、岩子島もお接待があるので、岩子島が良いかも…」とのアドバイスを潮風さんからいただきました。
 向島については2年前から準備をしていたので、札所のおおよその位置は掴んでいましたが、岩子島については掴んでなかったので、どうしたものかと思っていたら、「これを使ってください」と、札所の位置が入った向島と岩子島の地図を下さったのです。
国土地理院の地形図ほどの精度を期待するのは無理としても、判らないときは地元の方に確認しながら歩けば回れそうなのと、コース距離が短いため、滞在中に全札所を回ることが出来そうと判断し、岩子島を回ることにしたのでしたが…。

(ご参考)
   因島のお接待は4月11日です。 島によって日にちが設定されているようです。


お接待の日 (4月4日) 

 岩子島へは、潮風さんが愛車で送ってくださいました。(^^);
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↑ 岩子島の民家と東岩岳です。
尾根筋にも札所があります。手前の畑にあるのが生産量全国一とのワケギです。 (車を降りたJAの集荷場付近から見上げたところです。)

 とりあえず一番札所を目指し歩き始めたのですが、一、二番札所とも、高齢化などで、お接待をやってないとのこでしたので、お遍路をするみなさんの流れに合わせ、スタート地点として三番札所を目指しました。


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↑ 幟の立っているところが札所のようで、かなりの賑わいです。
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↑ 第三番札所の「阿波・金泉寺」でした。 素朴な石仏の前には、お花や食物などがお供えしてありました。
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↑ お参りを済ませた方が、お接待を受けるところです。
一人分ずつ漆器の皿に盛られた茶菓子を参拝者が選んでいただく方式で、
札所によっても異なるようですが、今年も1000人から1600人分ほど用意しているとのことでした。
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↑ お接待を初めて体験した三番札所の風景です。

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↑ 三番札所から路地を一分ほど歩くと、第四番札所「阿波・大日寺」でした。
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↑ 第四番札所にも素朴な石仏がありました。
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↑ 四番札所のお接待風景です。

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↑ 畑の隅にあった第五番札所「阿波・地蔵寺」です。 その名の通り石のお地蔵さんがありました。

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↑ 六番札所へ向かう、集落の中の小道です。車の無い時代は、これだけの幅があれば用が足りたようです。
 写真の民家は、白壁に漆喰などで化粧を施し、焼き板壁に本瓦葺きと、味わいがあります。 岩子島には、築年数を重ねた魅力的な民家が多く、そのような家々をのんびり観て歩くのも良いように思います。
ただ、痛んだときに、改築したり、新しく造り換えるには、建築法や消防法の規制が立ちふさがり、奥まった所に位置する家は家も立てられないと思いますので、行政として、何らかの救済法を整備してあげる必要性を感じました。
 道が狭く車が入れない家が多いことは、例え仕事があったとしても、若い方を島に留まらせるには難しいように思いました。
 朽ちかけた空き家などの整理による共有スペースの確保と活用が必要に思いました。
 事実、お接待の賑わいに反し、かつて1500人ほどが住んでいたとの島の人口が現在は620名ほどで、小学生は6人しかいないとのお話には、衝撃を受けました。
 気候も温暖で、景色も良く、車さえあれば尾道の街までは30分もあれば行けると思いますので、二三世帯が同居し、兼業も可能な環境だけに残念に思います。
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↑ お接待の方々です。どの札所もお接待する側に若い方は少ないのですが、年に一度、こうして、例えよその島からでも、大勢の子どもたちが来て賑わってくれるのがうれしいとのことでした。
これで、お孫さんを連れて一緒に札所を歩けたら、島に住む人々にとって、は最高の幸せなんだろうな…と思いました。
 「昔は、おじいさんやおばあさんに連れられて、島中歩いたよ…」との懐かしく話してくださった方の表情に、全ての想いが入っていたように感じました。
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↑ 第六番札所「阿波・安楽寺」です。

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↑ 次の札所へ向かう人々です。
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↑ 納屋として使っているのでしょうか?土壁の味わいのある大きな家と石垣のある民家との間を進みました。
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↑ 井戸の向こうに札所が見えて来ました。
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↑ 第八番札所「阿波・熊谷寺」でした。人の流れに委ねていたので、先に八番札所へ来たのでした。

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↑ 再び車道へ戻り、坂を行くと、次の札所が見えてきました。 
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↑ 第七番札所「阿波・十楽寺」です。 お顔に墨入れされた、子どものような表情のかわいい石仏でした。
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↑ 人々の気持ちであるおコメとお賽銭がたくさんありました。
私は、今回の島遍路を実行するために、硬貨を貯めて持って行きましたので、お賽銭を切らすことなく札所を回ることが出来ました。

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↑ 島に二つあるトンネルの一つ岩子島隧道が見えてきました。次の札所へは、右手の坂を上がります。
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↑ 坂を上り、ゆるく右にカーブした九番札所 (右側の黒い屋根と、せり出した尾根との間に少しだけ見える小さな青い屋根が札所です。)のある辺りです。(次の札所へ行く途中で撮りました。)

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↑ 第九番札所「阿波・法輪寺」です。
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↑ 九番札所の石仏とお供えです。

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↑ 十番札所へは、細く急な山道を行きます。
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↑ 第十番札所「阿波・切幡寺」です。女性の方々が穏やかな表情でお接待をされていました。
岩子島の方々にとって、私は、見かけない顔ですので、「どこから来られた?」とか、いろいろと質問攻めに遭いましたが、島の方々は、よそ者である私にも、とてもフレンドリーで、「よう、お出でなさった」と、感謝されました。
こちらこそ、ありがとうございました。
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↑ 十番札所の帰り道で、西の方角に見えた殿山(標高117m)です。
山頂や尾根筋には、いくつかの札所がありますが、今は山へ上がりお参りする人はいないとのことでした。

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↑ 第十一番札所「阿波・藤井寺」です。阿弥陀寺近くの道の交点にありました。

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↑ 第十二番札所「阿波・焼山寺」です。 きれいにされた祠の中には、千手観音のような石仏と、お供えがあり、お線香が上げられていました。

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↑ 第十五番札所「阿波・国分寺」のお堂内です。きれいに飾られていました。
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↑ 十五番札所は尾根上の高台にあり、日当たりと景色が良かったです。
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↑ 急で狭い山道を、子どもたちは次々と自転車を引いて登って来ます。
  「頑張るね。…」と声を掛けたら、
  「早く周って向島にも行かないとならないからと…」との返事。
春休みの子どもたちにとって、お菓子がたくさんいただける今日は、うれしいうれしいお接待の日のようです。
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↑ 十五番札所付近から北東方向を見たところです。
尾道水道と御幸水道が合わさる海や、尾道の街、向島などが見えました。
左手、円錐状の山は、なつかしの東岩岳(標高118m)です。

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↑ 十四番札所「阿波・常楽寺」です。農家の敷地内にありました。
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↑ ご主人が軽トラックの荷台にお接待のお菓子などを並べて、お参りに来られる人々にご苦労様と言いながら渡してられました。
傍らには、ご主人同様、温和な犬が尻尾を振っていました。
  「見たことのない方だが、どちらからお出でで?」
  「愛知から来ました…」
  「それは、遠くからご苦労さん。」と、数人分のお菓子を手渡しされたので、
  「一つあれば結構ですから、後で来る子どもさんたちに上げてください…」と辞退すると、たくさんあるからとのことで、そのまま、いただきました。
なお、十四番札所は、ご先祖さんの代から、個人でお守りしているとのことでした。
 作業場と庭先を通らせていただき、次に向かったのは、十四番札所をお守りされている方の屋敷入口横にあった十三番札所です。

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↑ 第十三番札所「阿波・大日寺」です。
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↑ お堂の中では、3人の方がお接待をされていました。
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↑ お堂から振り返った所です。中々急な石段です。
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↑ お堂の東側には、向島の大影山(標高167m 通称:土井山)が見えました。
かつて早朝散歩で二度登っていますので、これまたなつかしの山です。
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↑ お堂の南には、本因坊秀策の生まれた因島が見えました。 

(ご参考)
 本因坊秀策は、囲碁をやるものにとって、かくありたいと願う憧れの人と言えます。
本因坊秀策は、後に秀策流と言われる布石を残し、現代の棋士も、棋譜を並べて研究していますが、ただ強いだけではなく、考え方、手の広さに棋士として素晴らしさがあります。
そのうえ、江戸にコレラが流行ったとき、自分の身を省みることなく弟子たちを看病し、結局自らも感染し、若くして逝った人柄なども含め、現代にあっても、棋士としての人気は衰えを知りません。


 人の流れのままに、十、十一、十二、十五、十四、十三と、高台にある札所をお参りして周った私は、一旦、麓にある十六番以降の札所へ向かうことにしました。
 家から持って行った1/12500地形図を見れば、谷間を下りれば十六番札所はすぐに思えたので、十四番札所へ戻り、お接待をされていたご主人にコースについて確認すると、今は歩く人がいないので手入れはされていないが、踏み跡はあるとのことでしたので、地形図を頼りに駆け下り、数分で十六番札所に行くことが出来ました。
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↑ 十四番から十六番札所への近道です。
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↑ 土壁の家と、民家の庭先を通らせていただくと、郵便局から南へ向かう車道に出ました。



                                               つづく


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