久々の単独行

 9月22日(月)

 かつてのやまねは、年間に60日~80日は、山へ入っていました。
それで、いつの間にか、山から働きに来ているとか、いつも山で寝ているとかで、『やまね(山寝)』と言う名前までいただいてしまったのでした。 
もっとも、古い友人たちに言わせると、体が小さかったから、生きもののヤマネにもかけた名前とのことです。
(小学生のときは、女の子も入れて、学年で一番のチビちゃんでした。可愛い少年だったのです。今は、体も性格も、顔つきも、ごく普通のおじさんです。)

 前置きが長くなりましたが、ちょっと涼しくなったので、久々に地形図とコンパスを持って三角点の山へ行って来ました。 (9月5日に、山仲間たちと、信州の蛇峠山へは行っていますが、単独は久々なのです。)
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 ↑ 最初はいきなりの渓流の横断ですが、このところ晴天続でしたので渡渉をせずに済みました。岩から岩を、滑り落ちないように跳んで渡りました。
ハグロトンボ、オジロサナエ、タカネトンボがいました。

 コンパス片手の無名の山ですから、勿論、登山道や道標などありません。
日当たりの関係で、山際は少しヤブになっているものの、そこを突き切れば、後は木立の中の登りです。
標高差で340mほど登ると、鞍部に出ました。
後は、北へ進路を変え、標高差60mほどの尾根を直線で300mほど辿り、三角点のある山頂に着きました。
 地形図ではあるはずの小径は消え、明瞭なのはイノシシなどのけもの道でした。
近年は山を利用することが少なくなっただけに、こんな山が増えていますが、視界はないものの静かなのが何よりです。
 なお、今の時期のヤブ山は、蜂にだけは細心の注意が必要です。
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 ↑ 三等三角点「葛沢」(561.0m、明治21年設置)です。


 時間があるので、葛沢(つづらさわ)の集落を見て帰ることにしました。
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 ↑ 東へ進路をとると、驚いたことにかつての田んぼ跡がありました。
山頂からは僅かに50mほど下った所です。
昔の人はすごいです。 こんな所まで、生きるために開墾し、コメ作りをして来られたのです。
 さらに30mほど下ると、山の中で、繁茂した竹を切っている人に出会いました。
あいさつを交わし、いろいろお話しを伺いました。
竹は、ハザ掛け(稲を干すためのもの)用に切っているとのことでした。
葛沢の方で、今登って来た山の持ち主でもある小澤隆一さんご夫妻でした。

 イノシシが増え過ぎたので、家の近く以外の山奥の田んぼは止めたとのことでした。
先祖と共に守って来た田んぼですので、辛い決断だったと思います。
 家は、標高差で100mほど下った所にあるそうです。
今日は、息子さんが仕事が休みなので、稲刈をしてくれていると、うれしそうに話してくださいました。
 街までの通勤は大変かも知れませんが、同居が一番です。良い息子さんに恵まれ幸せそうでした。

 葛沢には、三角点のある山が二つあります。
偶然と言えば偶然ですが、そのどちらもが小澤さんの山なのだそうです。
 もう一つの山は、点名 「立石」(684.7m、明治21年設置)で、旧下山村と足助町の境にあります。

 「立石」には、思い出があります。
大阪万博の開かれた1970年の秋に登りましたから、今から39年前です。
今回同様、渓流を渡り、道なき道を辿って「立石」に登り、帰りはやや上流にある沈下橋に出ました。

  ・参考 ここの渓流には、沈下橋(ちんかきよう、しずみばし)が二つあります。

 山頂近くの赤松に赤い風船が引っ掛かっていたのです。
白い封筒のような物が結んであったので、登って開いて見ると、大阪の、確か池田の小学生たちが万博会場から飛ばしたものでした。
文面には、風船を拾った方はお便りくださいとありましたので、拾った地点などを書いて送ると、先生や、クラス全員からの手紙が届き、うれしい悲鳴を上げたのでした。
 何でも、一番遠くへ跳んで行った風船だったとのことでした。
名前などは忘れてしまいましたが、いい思い出です。
風船を飛ばした少年も、いいおじさんになっていると思います。
縁があり、再会できたら、風船と、その後のお話しや、子どもさんのことなどを語り合いたいものです。

 以下は、葛沢風景です。
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 ↑ ハザ掛けの稲のある田んぼです。
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 ↑ 何ていう神社かお訪ねしたら、お稲荷さんとのこと。
狐の像も、赤い鳥居もありませんが、素晴らしいスギの巨木と、石仏と、石段がありました。
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 ↑ 石段です。登ってみましたが、境内は木に囲まれていて見通しはありませんでした。
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 ↑ 石仏です。
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 ↑ 道標(みちしるべ)です。
 左ほうらいじ(鳳来寺)あきは(秋葉山)と彫られてありました。
道標の位置からすると、南や西の人たちがここを辿り、東三河の鳳来寺や遠州の秋葉山へ行ったようです。
 かつての旅人も、今回私が辿ったように、西から来て、あの渓流を渡り、葛沢へ入ったと思われます。
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 ↑ 黄金色に稲が実った谷間の田んぼです。
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 ↑ 今どき珍しい圃場整備がされてない田んぼと、ハザ賭けの稲です。
ノシメトンボやマユタテアカネ、ヒメアカネがいました。
アキアカネは、もう少し経って来るのでしようか。姿がありませんでした。
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 ↑ 耕作を止めた田んぼもありました。
それでも、山からの湧き水でグチュグチュしてましたので、いろんな生きものがいました。
 画像をクリックして見てください。民家の背後にある山が、三等三角点のある「葛沢」です。
私は、左手の影のほう(西側)から登って来たのでした。
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 ↑ 彼岸花も咲いていました。
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 ↑ 民家です。 茅葺屋根の頃に訪ねて見たかったです。
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 ↑ 浄土宗・水晶山宝樹院では、彼岸会が行なわれていました。
 入口にあった掲示板に次のような文が貼られていました。
 「池の水 人のこころに 似たりけり にごりすむこと さだめなければ」 と、
法然上人のお言葉が書かれていました。
 人の心は浮き沈むものだ。へこたれず、明るく生きよ。 とでも語っているのでしょうか。
落ち込んだりせずに、明るく前を向いて生きたいものです。
 








 

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